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2007年8月11〜12日。灼熱の外界へ!

蓬莱 「徐福時空」

 

2日間かけて和歌山を観光したりしました。
メインは徐福公園、ついでに熊野詣です。
写真等はその中から掻い摘んでご紹介致します。

と言いますか、掻い摘んでいるつもりで案の定、長いです。

 

出発地と日程の都合で変な巡り方ですが、ご容赦を。

 
 
紀伊田辺駅から龍神バスに乗り、熊野の山林や渓谷を楽しみながら2時間。
本宮大社前下車。

まずは熊野本宮大社です。世界遺産。

バスを降りてすぐに八咫烏のお出迎えです。
しかし、真夏の正午前のこの日差し…ヤバイ
さすが太陽の象徴。

画面のさらに外側には多量の風鈴が並べて吊られており、
風がそよぐと素敵に澄んだ音色が明確で神秘的な主張を表します。

 

さて、八咫烏の由来につきまして、境内にあった解説書きよりご紹介致します。

 

熊野では八咫烏を神の使者と言われています。三本足とは熊野三党 (宇井・
鈴木・榎本) 表すとも言われ、当社では主祭神家津美御子大神 (素盞鳴尊)
の御神徳である智・仁・勇、又天・地・人の意をあらわしています。

烏は一般に不吉の鳥とされてきているが、方角を知るので未知の地へ行く道
案内や、遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており、熊野の地へ神武天皇
御東征の砌、天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏が御導き申し上
げたという意があります。又、歴史上の一端より触れて述べれば源平合戦の折
那須与一出身地 (栃木県) 烏山城は烏が金の御幣 (神のお告げ) をこの地にも
たらしたので築城したといわれています。

次に世界各国の一部を記せば、
●スカンジナビア
オジンの神の肩に止まった烏が二羽、一つは思考、一つは記憶と名づけて
毎朝二羽の烏を放って、世界中のことを報告させたといわれている。
●古代ギリシャ
烏はアポロの神の標識。
●ツリンキート族
火を最初にもってきて、光を人にあたえたのは烏であると伝えられている。

(以下略)

オジンはオーディン、ツリンキートはトリンギット(またはクリンギット)の方が
一般に通りの良い呼び名のようです。

 

さて、神門です。
八咫烏の解説は右手の立て札にありました。

神門内は撮影禁止という立て看板に従い、御社殿の写真は無しです。
御社殿は、西御前・中御前・証誠殿・東御前の第一〜四殿と満山社。
そういえば、参拝順の案内が境内に掲げられておりました。
私はそれに気付かず、空いている所から参拝したところ、
見事に逆順でした。うわぁ。

神門左手の拝殿。

さて、本宮の境内を出、南東に向かいますと大鳥居が聳えております。
明治の洪水で壊滅の憂き目にあうまでは熊野本宮大社が存していた大斎原(おおゆのはら)に
平成十二年に竣工された日本一の大鳥居です。

車が通りかかったので、対比にちょうど良いと思い一緒に撮影。
幅42m、高さ34m。でかっ!

 
人心が神と自然から離れつつある今日、当社の最も危惧する
ところは 「命脈の護持」 であり次の世代への日本の心 (精神・
魂) の復活を祈念することであります。

って鳥居足元の看板がいってた。

ちなみに、明治の洪水の記録や当時の写真などは本宮大社の宝物殿に展示されております。

 

 

昼食に蕎麦を堪能し、次は熊野交通のバスに乗車。
約1時間かけて熊野川に沿って山を降る中、景色を堪能。
そして、新宮駅に到着。

新宮駅から北西にしばらく歩くと、熊野速玉大社に到ります。世界遺産。

鳥居をくぐってすぐ右手に手力男と八咫烏がおわします。

神門。

拝殿。

上三殿と中四社と下四社。

いや、それにしても暑い。荒行。

神宝館で涼めるかな〜と期待して入館しましたが、
冷房も強力にはかかっておらず、汗だくの私の方が恐縮。

新宮市内で見つけた八咫烏さん。
気に入ったので撮影。
三本足の三羽烏が鳥居に集う。
三羽描かれているのは熊野三山を現しているのかな。
烏の旋回が逆回転なら、熊野三社の神紋、
左三つ巴に合致して言うことなしだったのがちょっぴり惜しまれます。

 

この後、徒歩で新宮駅へ向かいがてら、
その途中にある国指定天然記念物の「浮島の森」を訪ねました。
その昔、沼地に形成された浮島が今もなお水上に浮かんでいるそうです。
長い年月をかけて発達した植物群落で構成され、
樹木が青々と生い茂っております。
歩道が施されていますが、完全に固定されているものでは無い様で、
浮島が浮かぶ池水面の昇降や強風の影響などを受けるそうで。
興味深く珍しいものです。

 

夕食には寿司と地酒をちょっと堪能〜♪
その分、宿泊はビジホで。
新宮で一泊し、二日目〜。

天気予報で雨の心配はなさそうだと確認している側で、
ホテルの窓からは降雨を視認。あれ?

ホテルを発つ頃には雨もやみ、一安心。
新宮駅からバスで那智駅前に向かい、
那智山方面行きのバスに乗り換え、滝前で下車。
飛瀧神社です。この辺りも世界遺産。

奥へと進むと…

 

滝が見えてきた…

那智大滝!
落差133mの日本一の直瀑です。
幻想的な原始林に囲まれた大瀑布。

 

さて、お次は熊野那智大社を詣でて、その後は熊野古道を降りて逆行〜…
とか企んでいたら、土砂降りの大雨に見舞われましたよ。
手持ちの小さな折り畳み傘では凌ぎきれず、雨宿りですっかり足止め。

 

雨が弱まったのを見計らって、熊野那智大社。
下から同じく雨宿りで足止めされていた団体さんが続々と…急がねば!

雨で潤った拝殿。

境内から山々を見渡す。
先ほどまでは雲と雨で一色だったのですが、
夏の灼熱も洗われ、素敵な風景に。
陽射しが戻りつつあります。

三重塔と那智大滝を望めるポイントで、さらに石碑など盛り込んでみました。
過ぎたるはなんとかかんとか。

 

この後、三重塔に登ったり、もうで餅と抹茶を堪能したり
蓬莱閣というお店で土産物を買い込んだりしました。

 

正午前にはバスで離脱。
今度は那智駅前をスルーして勝浦駅前まで。
目当ては鮪、鮪、マグロ〜♪美味でした。
勝浦駅からバスで再び新宮駅へ。

 

14時前には新宮駅に到着できましたよ。

新宮駅から徒歩2分、今回の旅のメインディッシュ(そうだったのか!?)、徐福公園です。
これこれ!三月精1巻の特別コーナー(黒歴史)で見た見た。
夏の青空に橙色が映えます。

徐福像と不老の池。草木の向こうには徐福の墓があります。
その墓前には、あまり積極的に写真に収めてはおりませんが、
6、7人ほどの和尚さんが…
実は8月12日14時から、徐福供養式典が執り行われたのです。
翌13日には熊野徐福万燈祭という花火大会があるそうで。
ちなみに、写真左手には来賓の方々がずらり。
市長や全国の徐福関連団体、中国の徐福関連団体の方々がご列席。

とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい

それでは御焼香を…
なかなか本気の供養祭でした。

そういえば、徐福時空は卍の弾幕でしたね。

30分ほどで式典も終了。
チャイナドレスに身を包んだ市民の方々が
参列者に徐福茶を振る舞っておられました。眼福。
お茶に余裕があったようで、私も堪能させて頂けました。多謝。

供養祭用の祭壇の向こうに徐福の墓があります。

祭壇の右手より撮影。左の1.4mの墓碑が徐福の墓です。
全国に名が残る徐福ですが、墓があるのは新宮だけだそうな。
といっても、江戸時代に徳川頼宣の命で設けられたものと案内板にもあり、
徐福の伝説自体に比べれば最近のもののようです。
無学祖元の詩歌から、徐福と新宮の関係は鎌倉頃までは遡れるらしいですが。
公園内には、南北朝時代には既に熊野の祠が
中国に聞こえ名高かったことを示す詩碑もあります。

改めて、徐福像と不老の池。
7本の天台烏薬、7本の石柱、7匹の鯉、石橋は北斗七星を描く。
石柱は和・仁・慈・勇・財・調・壮の七本。一本撮り損ね…。
七重臣が有していた七つの徳なのだとか。

 

お次は阿須賀神社へ。徐福公園から北方へ徒歩数分です。

拝殿の向こうにこんもりした緑が見えますが、
これこそが 「蓬莱山」 です。
まぁ、蓬莱山と呼ばれる山も全国に幾つか知られますが。

拝殿の右手に稲荷の社があり、さらにその右手、
徐福を祀る徐福之宮です。

幕末の「新宮本社末社図」が
観光案内所などでもらえる徐福パンフに掲載されているのですが、
これには先の徐福公園の位置に「徐福塚」、
阿須賀神社の境内にはこの「徐福宮」が描かれています。
同図には「蓬莱山」も明記されています。

そういえば、境内には先述の無学祖元の詩碑もあります。

写真の社自体は昭和60年の再建だそうです。
仏教だったり神道だったり忙しい徐福さんです。

 

阿須賀神社境内に沿う東脇の小道を道なりに進むと熊野川に出ます。
写真は熊野川河口。
河口を白く横切る州の向こうが太平洋。

これに臨む「徐福上陸」の記念碑。
けっこう新しいです。町おこし。
「上陸の地」って、言ったもん勝ち風味。

 

この後、丹鶴城址を見て回りました。
足腰に鞭打って、結構しっかり残っている石垣を登り、
新宮市を広く見渡す眺望を楽しみました。

 

電車の時間にはまだまだ余裕があったし、
雲で陽射しも和らいだりしたので、ここで奮起!
徒歩で熊野大橋を渡り、対岸は三重県紀宝町へ。

対岸から蓬莱山です。

頑張った!酷暑の中 よく頑張った!
…せめてレンタサイクルにでも頼れば良かった…orz

 

しかし、全国的にこの夏一番の暑さだったとか。(後日更新されてゆきましたが)
熱中症対策はしっかり心得ていたので何ともありませんでしたが、
日焼けと筋肉痛で翌日苦しみましたとさ。

 

長文&拙い旅行記にお付き合い下さり、ありがとうございました〜m(_ _)m

 

おまけ


この旅にも我が家の家紋にも関係無かったのですが、
土産物屋で見かけてつい買ってしまった兎玉。
家紋 「丸に違い矢」

これをもって金烏玉兎の和歌山紀行でした〜。
おそまつ。

 

関連リンク
熊野巡り
熊野三山
新宮市観光協会
浮島の森
徐福公園
龍神バス
熊野交通

 

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