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11月29日
「源三位頼政の死闘」

 

前回のおどる鵺塚封鎖線が悔しくて、
こうなったら残りの鵺関係も行っときます。
って、さすがに関西圏ですが。
(伊豆は無理よ)

 

JRを乗り継ぎ乗り継ぎ、都市を抜け、田畑を眺め、
河川に沿い、山々に囲まれて、すっかり方向感覚と日常感覚を失った頃、
西脇市駅に到着です。
大阪から2時間ほど。

JR東西線で新三田、乗り換えて福知山線で谷川、
さらに乗り換えて加古川線で西脇市。

方向感覚が狂ったので、駅から歩き向かった方向は
目的地と逆方向でした。危ない危ない。
というか10分ロス。

西脇市駅から東南へ、(ルートが正しければ)15分ほど徒歩で長明寺に到着です。

高松山 長明寺

左の看板にあるように、源頼政ゆかりの地とされます。

仁王門

仁王さまがすごい形相で睨みつけて下さります。
忿怒のなんちゃら。

別の案内板。
赤丸の現在地近辺にいくつか寺がありますが、
長明寺は駐車場の右側の敷地ですね。

やあ、良い染まり具合です。

長明寺前の階段を上り、振り向いて撮影。
秋の彩りは良いものです。

本堂

本堂向かって右手

右が鐘楼、奥は厄除大師堂です。

本堂向かって左手

本堂の奥(写真右奥)は西国33ヶ所。
左は慰霊塔と歌碑。

深山木の その梢とも 見えさりし さくらは花に 顕れにけり

平家物語などに引用されている源三位頼政の歌です。
深山の木々の中にあって、どれがその梢だと見分けることの出来なかった桜は、
咲いた花によって、自然と目につくようになった。

(「千人万首 −よよのうたびと−」さまより引用)

ぬえの最終弾幕も桜を意識しているかもしれませんね。

慰霊塔の隣に、ありました!
頼政公ぬえ退治の像

仁平三年夏 近衛天皇は奇病になやまされておりました。
深夜になると黒雲が御所をおおい、鵺の鳴き声が聞こえて
その度に天皇は苦しまれた。薬も名僧たちの祈願も効なく
やがて雲の中に住む妖怪のしわざと考え
弓の名手 源頼政に妖怪退治が命じられた。

頼政公

ちゃんと鏑矢ですねー。

きっと見上げた頼政は力一ぱい弓をひき
「南無八幡大菩薩」 と心の弓に祈念して矢をはなつと見事命中、
落ちてきた怪物を家臣の者の早太が刺し殺した。

RPGのキマイラを思わせる、なかなかの造形。

火をともして見ると 頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、
恐ろしいという以上である。
天皇は感心され 獅子王という名剣を下された。
(平家物語から)

引用は近くの案内板から。

ぬえ退治の像から少し歩くと階段発見。

頼政公廟(中央)とあやめの碑(左)

源三位頼政公は摂津多田源氏の末裔にして平安末期以仁王の令旨を奉じ、
平氏追討の兵を挙げ、我が国中世国家への転機をつくった武人であり、
新古今集・千載集等に秀歌を残した歌仙でもある。
志半ばにして治承四年、武運つたなく討死。その墳墓が所領地であった
当高松山の一角に悠久の歴史を秘めて苔むし、諸人の景仰を集めている。

ちょうどその場所の紅葉も良かったので撮影。

階段を一度戻って、さらに奥へ進むと、頼政池があります。
周囲には歌碑もたんまり。

奥に行けばさらに金城池や四国88ヶ所などもあるようでしたが、
ここでは時間の都合もあって引き返します。

仁王門まで戻ったところで、案内図で気になっていたポイントへ足を向けました。
仁王門裏から、長明寺に向かう路とは直交する方の道へ、徒歩3分くらい。

ちょっとした橋が架かっていました。
いや、「ぬえの橋」 と鵺の名を冠していましたので。

それよりも、そのすぐ手前にあった八幡宮の方が新たに気になったのですけどね。
どんな巨大神輿が収められているのでしょう…?
南無八幡大菩薩

 

JR西脇市駅へ引き返し、加古川線で加古川駅へ。
うつらうつらしながら45分で加古川駅。
山陽本線の新快速に乗り換えて神戸駅。
東海道本線の快速に乗り換えて元町駅。
JR元町から阪神・元町へ移動し、阪神で芦屋駅着ー。

JR芦屋駅よりも阪神芦屋駅からの方が近かったもので。
芦屋駅から南下すると、松が生い茂る公園に至ります。

駅から徒歩10分ほど、交番の裏手に芦屋の鵺塚があります。

鵺の死骸はウツボ舟(丸木舟)に乗せられ、桂川に流されたという。
舟はやがて大阪湾に流され、そして芦屋の浜辺に漂着した。
浦人たちは恐れおののいて芦屋川のほとりに葬り、りっぱな墓をつくったという。
ぬえ塚伝説は古墳にまつわる伝説の一つと思われる。
現在の碑は、後世につくられたものである。

(近辺の案内板より、一部抜粋改変)

すぐ脇に芦屋川が流れ、橋が掛かっています。
写真は鵺塚から橋を渡って、鵺塚方向(写真左側)を含めて撮影。

橋からの眺め。
すぐ先は湾でした。
まぁ、でも、いくらつながっていても逆流は厳しそう。
ポロロッカ?…正体不明の。

この橋は鵺塚の傍という事で、鵺塚橋という名称です。

 

お次は芦屋駅から阪神線で梅田駅。
移動して東梅田駅から大阪市営谷町線で都島駅へ。

ここの鵺塚はちとわかり難いところにあるのですが、
都島駅構内の周辺地図に「ぬえ塚」が表記されていました。
これから、という方には心強い味方かと。
ちょっとだけ入り組んでいるので、その点だけ注意で。

というわけで、鵺塚。

鵺の死体は丸木舟にのせて淀川に流され、
その舟は当時湿地帯であったこの地に漂着しました。
祟りを恐れた村人たちは土に埋めほこらをたてて
「鵺塚」と呼び、ねんごろに祀ったと伝えられています。
現在の塚は、明治の初め大阪府が改修したもので、
ほこらも昭和32年に地元の人々によって改修されました。

鵺塚

鵺のデザインは大阪港の紋章としても使用されています。
良かった、これがあればわざわざ大阪港まで行かなくて済むよー。

 

というわけで、前回と合わせて、関西鵺巡りは終了です〜。
当初は、長明寺・芦屋・都島・神明神社・鵺大明神・大将軍神社・月輪南陵と
一日で巡ろうかなんて考えていたんですけどねー。
ともあれ、ご高覧ありがとうございましたー。

 

 

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