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ガンガン行く僧侶
[コードネーム] LV12の撮影対象、聖白蓮のコードネーム。ガンガンいくそうりょ。 風神録事典ステージ5の「ガンガン行く勇者」を参照。 「ガンガン行く勇者」は魔理沙の自称であったが、 ここでは白蓮にちなんで、ドラゴンクエストでの職業名、僧侶に置換。 白蓮は種族:魔法使いであるが、尼公であるため。 ガンガン行くのは信貴山縁起絵巻にて信州から大和まではるばるやってきた経緯や 現在の性格あたりからか。 いざ、南無三――! |
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鳥だったり虎だったりする奴
[コードネーム] LV12の撮影対象、封獣ぬえのコードネーム。とりだったりとらだったりするやつ。 ・鵺 「1:
トラツグミの異称。2:
源頼政が紫宸殿上で射取ったという伝説上の怪獣。 頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎に、声はトラツグミに似ていたという。 平家物語などに見え、世阿弥作の能(鬼物)にも脚色。 転じて、正体不明の人物やあいまいな態度にいう。」 鵺は、本来は夜中や夜明けに寂しげな声で鳴く鳥のこと。 その正体は、哀調を帯びた、不吉を感じさせる鳴き声を発する トラツグミのこととされている。(口笛やブランコのきしむ音に例えられる) 源頼政が射落とした怪物は鳴き声が鵺のような妖怪であったが、 この怪物がやがて鵺と呼ばれるようになった。 「なく声の鵼に似たればとて、ぬえと名づけしならん。」 (「鳥山石燕 画図百鬼夜行」より) 鳥だったり、というのは鵺の名前の由来であり鵺の鳴き声のトラツグミ。 虎だったり、というのは鵺の手足のパーツの虎。
参考 「広辞苑 第五版」
(鵺) 「日本妖怪大事典」(鵼)村上健司編著、角川書店 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」(鵼)国書刊行会
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正体不明
「紫鏡」
[スペル] ぬえのスペル。むらさきかがみ。 学校の怪談の一種、「紫の鏡」より。 この言葉を20歳まで覚えていると不幸になる、死ぬなどとされる。 言葉のバリエーションやストーリーの付随など地域により様々である。 本レベルの「正体不明」スペルはいずれも学校の怪談である。 学校の会談で、紫の鏡と似た名の「紫婆(むらさきばばあ)」であれば トイレにまつわる学校の怪談で統一だが…。 もしそうであれば、厠神(便所神)が意識されているだろうか。 神道の神では埴山姫・水罔女の2神、仏教では烏枢沙摩明王、 中国の伝承では紫姑神、といったところに連鎖するが、 関連は不明。
参考 「Wikipedia」 (紫の鏡、紫ババア) 「怪異・妖怪伝承データベース」 (紫鏡、紫の鏡) 「広辞苑
第五版」 (厠の神、烏枢沙摩明王) 「日本妖怪大事典」 (カイナデ) 村上健司編著、角川書店 「日本の神様読み解き事典」 (便所神)
川口謙二編著、柏書房
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「遊行聖」
[スペル] 白蓮のスペル。ゆうこうひじり、ゆぎょう―。 ・遊行 「出歩くこと、ぶらぶら歩くこと。[仏]
仏・僧が修行・説法のため諸国を めぐり歩くこと、行脚、雲水。遊行上人の略。」 ・遊行聖 「諸国を行脚し、説法教化につとめる僧。」 諸国を行脚し、説法強化と妖怪保護につとめた聖。 あるいは、ぶらぶらしている聖。 昔は気も遠くなる遠路と行く手を遮る風雨や険路を ひたすらに徒歩で旅したものだったが、 今は法力ないしは妖術・魔術の類により楽々行脚。 筋力を使わずにすいすいと移動し、空間を不連続に渡り、 雨が降ろうが槍が降ろうが不思議な力がその身を護る。
参考 「広辞苑 第五版」 (遊行、遊行聖)
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正体不明
「赤マント青マント」
[スペル] ぬえのスペル。あかマントあおマント。 学校の怪談の一種、「赤いマント、青いマント」より。 トイレ等の密室状況下で二者択一を迫られるが、いずれの回答も致死が典型例。 色の組み合わせが紅白の例や、回答後の効果が異なる例、 マントではなく紙、チャンチャンコ、手、舌などバリエーションに富む。 節分の夜に便所で尻を撫でる妖怪、カイナデを 「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」
と唱えることで回避できることから、 怪談の 「赤い紙、青い紙」 のルーツとする説がある。 なお、カイナデのルーツには厠神 (便所神)
が指摘されている。 一方、「赤いマント、青いマント」 については、昭和初期にみられた 都市伝説の 「赤マント」
との関連が指摘される事もある。 赤いマントを身につけた怪人が子供を勾引かし、殺すという恐怖デマで、 文が本スペルの撮影コメントで言及しているのもこの赤マントの方である。
参考 「Wikipedia」 (赤い紙、青い紙 、赤マント) 「日本妖怪大事典」 (カイナデ)
村上健司編著、角川書店
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習合
「垂迹大日如来」
[スペル] 白蓮のスペル。すいじゃくだいにちにょらい。
・垂迹 「仏・菩薩が、衆生済度のために仮の姿をとって現れること。 本地垂迹説では、日本の神は仏・菩薩の垂迹であるとする。」 ・本地 「〔仏〕仏・菩薩が衆生済度のために仮の姿をとってあらわれた垂迹身に対し、 その本源たる仏・菩薩をいう。例えば、熊野権現の本地は阿弥陀如来とする。本地仏。 本来の姿。ものの本源。本性。正気。もっとも堅牢な漆下地の方法。」 ・本地垂迹説 「日本の神は本地である仏・菩薩が衆生救済のために姿を変えて迹を垂れたものだ とする神仏同体説。平安時代に始まり、明治初期の神仏分離により衰えた。」 ・大日如来 「宇宙と一体と考えられる汎神論的な密教の教主。大日経・金剛頂経の中心尊格。 その光明が遍く照らすところから遍照または大日という。大日経系の胎蔵界と 金剛頂経系の金剛界との2種の像がある。遍照如来。遍照尊。遮那教主。」 ・習合 「相異なる教理などを折衷・調和すること。」 ・神仏習合 「日本固有の神の信仰と仏教信仰とを折衷して融合調和すること。 奈良時代に始まり、神宮寺・本地垂迹説などはその現れ。神仏混淆。」 神道と仏教の関係としては、六世紀に仏教が伝来して以来約千三百年に亘り、 様々な混淆形態が展開されてきた。 当初は仏を、在来の神々に対して、外国から渡来した神の一種とみなし、蕃神と称していた。 しかし次第に仏教が浸透していき、奈良時代から神社に神宮寺が建てられ、 仏教優位の地位が築かれていった。 当初は、神を迷い苦しむ衆生の一類とみなし、仏法の力で解脱させるべきとされ、 やがて奈良時代末頃より、神は仏法を守護すべき護法善神とされるようになっていった。 平安時代になると、神の本来は仏・菩薩であり、神の姿というのは 仏・菩薩が日本の衆生を救うために現れた仮の姿であるとする 本地垂迹説が完成し、平安中期から後期にかけて全国的に流布し 国内の神々には特定の仏・菩薩があてられた。 奈良時代の習合とは異なり、神仏の関係は同体不可分とも言えるようになり、 また、本地垂迹説はその後の神仏習合理論の基調となった。 垂迹大日如来は、大日如来が日本の神の仮の姿で現れた、といったところで、 本地である大日如来の霊験として、その光明が遍く画面を照らす。 神仏習合ないし本地垂迹からの充当では、大日如来は 熱田神宮の熱田大神、気比神宮の気比大神、伊勢神宮の天照大神、 他にも厳島神社、大神神社、春日、丹生高野、平野の祭神(一部)の本地仏である。 撮影コメントより、本スペルで大日如来が垂迹したのは天照大神と言える。 一方で、撮影コメントでは
「大日如来の格好をした天照大御神」
と、 天照大神が本来の姿、大日如来は仮の姿として表現されている。 これは本地垂迹ではなく、反本地垂迹あるいは神本仏迹と言える。 平安末期から鎌倉時代にかけての末法の世や武家政権の樹立は 僧侶たちに危機意識をもたらし、一部の高僧は神の存在を高く見て、 伊勢参宮、神典の読解といった神祇への接近が見られるようになった。 神風の神徳あるいは対外的危機意識もあって高まった神国思想も手伝い、 伊勢の二宮を密教的に解釈した両部神道と密接に関係しつつ、 鎌倉後期には中世神道の代表格である伊勢神道の成立を見た。 もとより、神仏習合の風潮にあって宮中では、天皇の祭祀、神事に限り 仏法を忌避する神仏隔離の制度・慣習があったが、 伊勢において伝統化されていた神仏隔離の慣習が伊勢神道では教説化され、 ひいては神本仏迹説の形成や近世の排仏論に大きく影響したとされる。
参考 「広辞苑 第五版」 (本地、垂迹、本地垂迹説、大日如来、習合、神仏習合) 「Wikipedia」
(本地垂迹、三十番神) 「【縮刷版】神道事典」 (中世の神道、神道と仏教、反本地垂迹説、本地垂迹説)
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正体不明
「厠の花子さん」
[スペル] ぬえのスペル。かわやのはなこさん。 学校の怪談の一種、「トイレの花子さん」より。 学校の特定のトイレで特定のプロセスを実行して呼び掛けると 「花子さん」から返事があり、トイレに引きずり込まれるというもの。 条件や現象、時には背景ストーリーも含め種々のバリエーションがある。 トイレの怪異としては、「赤マント青マント」の項に挙げたカイナデが知られる他、 河童が絡んでくる場合もある(風神録事典ステージ3補足資料「腕」参照)。 1950年頃に岩手県の小学校で語られた
「3番目の花子さん」 も トイレに現れる 「手」 の怪異で、奥から3番目のトイレに入ると、 「3番目の花子さん」
と声がかけられるとともに便器から手が出てくるというもの。 弾幕は、ノックまたは呼び掛けと、それに応じてトイレに引き込む手のイメージだろうか。 手と光弾の二種類から、厠の神である埴山姫・水罔女といった二属性の攻撃も思い浮かぶ。
参考 「Wikipedia」 (トイレの花子さん) 「日本妖怪大事典」 (花子さん、カイナデ)
村上健司編著、角川書店 「広辞苑 第五版」 (厠の神)
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「スターソードの護法」
[スペル] 白蓮のスペル。スターソードのごほう。 ・護法 「[仏]
仏法を守護すること。仏法守護のために使役される鬼神。
護法童子・護法善神など。呪術。」 ・護法童子 「仏法守護の護法善神に使役される童子姿の鬼神。護法天童。」 ロールプレイングゲーム「ロマンシング サ・ガ」に登場の光の術法、スターソードと 「信貴山縁起絵巻」に登場の剣の護法より。 スターソードは光の力を具現化して剣を作り出す、光の最高位術。 文のカメラを無効化することから、「ロマンシング サ・ガ2」
に登場の天の術法、 光の護身刀を作り出し斬撃を無効化するソードバリアも意識されているかもしれない。 剣の護法は、信貴山縁起絵巻において命蓮が使役した護法童子。 刀身の束を装束として纏った護法で、輪宝に乗って内裏を訪れ、天皇の病を平癒した。 攻撃では無く防御に特化した護身刀……を使って攻撃。 参考 「広辞苑
第五版」 (護法、護法童子) 「必殺技辞典」 (ロマンシング サガ、ロマンシング サガ2) 「躍動する絵に舌を巻く 信貴山縁起絵巻」
小学館
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「遊星よりの弾幕X」
[スペル] ぬえのスペル。ゆうせいよりのだんまくエックス。 ・遊星 「惑星に同じ。」 ・エックス 「アルファベットの24番目の文字。数学で未知数の符号。転じて、未知の物事。 ローマ数字の10。」 映画
「遊星よりの物体X」(原題:The Thing from Another World、1951年) より。 1982年にはリメイク作品
「遊星からの物体X」(原題:The Thing) が製作された。 謎の円盤に乗って地球にやってきた「物体」(The
Thing)が 人類の脅威となる怪物であったというSFホラー映画。 遊星は惑星のことで、昔はどちらの語も使用されていたが、 惑星に統一されて以降、遊星と言う語は専ら上記映画などファンタジー系に用いられる。 エックスは未知の物事を指し、レントゲンでおなじみのX線の命名も 発見時は正体不明だったことから。 東方では既に非想天則で「アンノウンX」の楽曲がある。 弾幕は○□△×の4形状に並んだ星弾で構成されるが、 これはゲーム機、プレイステーション系列のコントローラーのボタンである。 遊星を漢字から直訳で
Play Star
と見ればプレイステーションの略称PS、 さらに弾幕XもあわせてPSXとできる。 ちなみに、PSXのXは、ゲームとエレクトロニクスのクロスオーバーという意味と 並はずれたものということでエクストラオーディナリーとからなので、 未知の意のXではない。 なお、本スペルは大量=10枚撮影指令であるため、 未知のX以外にも、ローマ数字の10としてのXのシャレもありそうである。
参考 「広辞苑 第五版」 (遊星、エックス) 「Wikipedia」
(惑星、遊星よりの物体X、遊星からの物体X) 「はてなキーワード」 (PSX)
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更新履歴
2010年 5月9日 初回更新 7月11日 誤字修正 12月9日 TXTからHTMLに変更
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