「東方儚月抄 〜Silent Sinner in Blue.」
第十八話 『月の頭脳』

 
あらすじ

  穢れ弾幕で依姫を苦しめた霊夢だったが、
  巫女姿の神の力に形勢は悪くなる。
  一方、地上へと転送され、行動を封じられた紫は
  万策尽きたのか降参の意を表す。


誌上情報

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  柱アオリ   策士、策に溺れる…。
          紫の計画、失敗!?
  あらすじ等  あらすじ、人物紹介あり
 


タイムライン

  (月面)
   前話と同日。
 
  (幻想郷)
   前話と同日。
   満月の夜だが、月は少し欠けている。


セリフ解説

 ・月の頭脳
 
  永琳の二つ名。
  儚月抄 SSB 第一話においての永琳の紹介テロップにも明記されている。

 

 ・小人 愚者を囮とし 目を欺かんとす 留守に気をつけろ
 
  永琳の手紙に書かれていた文面の引用と思われる。
  小人 (しょうじん) は、年若い人、徳・器量のない人、身分の卑しい者の意。
  ここでは八雲紫のことを指す。
  愚者は前話においても 「愚者の海」 の単語で暗に指されたように、霊夢たち一行。
  派手に正面から現れる集団を囮として、
  迎撃に出払った隙を狙ってこっそり侵入しようとする者がいるから気を付けろ、
  ということ。
  実際は、紫が自分すらも二段目の囮とした、
  三段構えの作戦で、本当に留守になった要所に幽々子たちが向かっている
  と思われる。
 
  永琳の予想を紫がしのいだか。
  あるいは、永琳は紫の三段攻勢を読んだ上で
  「(月の都の)留守に気をつけろ」 との永琳の指示 (言葉足らず) だったが、
  綿月姉妹は 「(永琳の住処の)留守に気をつけろ」 と解釈してしまったのか。
 
    参考
    「広辞苑」 (小人)

 

 ・道は爾きに在り 而るにこれを遠きに求む
 
  儚月抄 SSB 第六話での紫のセリフと同一。
  永琳の口癖であったらしい。
  紫と永琳の思考の一致か、
  偵察して永琳の口癖を知った紫が敢えて使ったのかは不明。
  その際、手段としてロケットは遠すぎる、紫の能力は近すぎる、と述べていた。
 
  その背景を知らない豊姫は、この格言を照らして、
  「紫は回りくどいことが正しいと勘違いしたが、
   師匠の口癖にも言われる様に、道は実は身近なところにあるのだ」 と説く。

 

 ・天網
 
  「天がはりめぐらした網。是非曲直を正す天道を網にたとえた語。
  また、永琳のスペル、「天網蜘網捕蝶の法」。
  禅寺の妖蝶は天網に捕われてしまった。
 
    参考
    「広辞苑」 (天網)

  

 ・果たしてどちらが道であったのか
 
  豊姫が師事する永琳の口癖の道。
  また、豊姫は登場時の初セリフに道 (蹊) を盛り込んでいる。
  山と海、地上と月をつなぐ者として、「道」 を強く意識しているのかもしれない。

 

 ・伊豆能売 (いづのめ
 
  古事記にて、黄泉から帰還したイザナギの禊で
  神直毘神、大直毘神に次いで生じた神。
  これら三神は、八十禍津日と大禍津日 (前回解説) の後に生じており、
  マガツヒの禍を直すために生まれた神であるとされる。
  神直毘神、大直毘神は穢れを祓う神事の祭主であり、
  女神の伊豆能売は巫女であるとも考えられている。
 
  穢れを祓うと言えば、祓戸神が知られる。
  「延喜式」 の六月晦大祓の祝詞に記されている神々で、
  瀬織津比刀A速開都比刀A気吹戸主、速佐須良比唐いう。
  罪・穢を祓い去る神々であるが、記紀には見えない名であるため
  諸説をもってそれぞれに記紀の神があてられる。
  特に、イザナギが禊を行なった時に生じた神をあてることが多く、
  例えば、本居宣長は瀬織津比唐ノ八十禍津日神、
  速開都比唐ノ伊豆能売神、気吹戸主に神直毘神をあてている。
  また、大祓詞には祓戸神の役割が記されており、
  速開都比唐ヘ、瀬織津比唐ェ川から流した諸々の罪・穢れを
  海で待ち構えて飲み込むとされる。
 
  本話で描かれた伊豆能売は巫女姿であり、穢れを祓う。
  また、依姫は元ネタが海神の系統、玉依姫である。
 
    参考
    「Wikipedia」 (伊豆能売祓戸大神
    「【縮刷版】 神道事典」 (祓戸神)
    「古事記」 梅原猛著、学研M文庫

 

 ・誰それ? 聞いたことない神様だわ
 
  伊豆能売を祀る神社は現存しないとされる。
  一応、古事記ではマガツヒの後に登場してはいるが…。

 

 ・この扇子は 森を一瞬で素粒子レベルで浄化する風を起こす
 
  森とは竹林のこと。
  豊姫の本話のセリフから、穢れの範囲は、
  獣などの動物の他、木々(竹林)、土壌にも及ぶと推測される。
  それらすべてが素粒子レベルで消滅ないし分離・分解されるのであろう。
  紫は 「無に帰す」 と表現した。
  小さくても必殺の武器。

 

 ・ここに住む生き物に罪がないはずがありません
 
  月侵入あるいは月侵略未遂の罪は確かに無い。
  しかし、地上に生きる、死ぬというのは月人視点では罪であり、
  「ここに住む生き物に罪がない」 とは言えない。ということ。
 
  神道観念としては、
  穢は自然発生的現象で汚れて悪しき忌まれる状態になることで、
  個人のみならず社会にも災いをもたらす。
  穢は禊で浄化できるが、禊を怠り斎場や共同体に穢れを持ち込むと
  規範や秩序を乱した行為から罪となる。
  基本的には、罪は祓によってすべて解消・除去される。
 
  神道の穢に根差しつつ、東方ではこれを地上の生き物がすべて孕む特質とし、
  地上に蔓延する一方で月には無く、寿命の有無や清浄と穢の区別を生むとしている。
  穢を有さない清浄なる地である月に穢を持ち込んだという点で紫は 「罪」 あると言える。
  一方で、地上のすべてに関して言えば、月に穢を持ち込んだわけではないが、
  清浄な存在である月人たちの価値観から言う規範や秩序からは外れた生命活動を
  営んでおり、危険・不浄なものとして忌避すべきものであるから、
  穢を孕むその存在、行為を 「罪」 と見ることもできよう。
  この場合、地上に生まれた者は元来罪ある存在と考えられ、
  キリスト教でいう原罪観念を想起させる。
 
    参考
    「【縮刷版】 神道事典」 (穢、罪)

 

 ・地上の生き物への罰は――……一生地上に這い蹲って生き 死ぬこと
 
  お咎めなし。
  これにて一件落着〜。

 

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