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2008年8月12日〜14日

神符「結びスギでフル奇縁」

 

ぶらりでかけました、山陰地方。

 

メニュー
1日目 出雲・松江
2日目 鳥取〜丹後
3日目 丹後・大江

 

出雲大社の御本殿特別拝観は
事前申請葉書が通過せず。
でも、折角だし、行ってみる。
ついでに山陰地方は滅多に行けないので
できるだけそれっぽいところを網羅してみる。
の旅。

 

 

とりあえず、出雲空港からは空港連絡バスに乗車。
うまく時間が合えば空港から出雲大社への直通便もありますが、
うまく合わなかったので、ひとまずJR出雲市駅行きに乗車。

【関連リンク】 空港連絡バス(一畑バス)

JR出雲市駅に到着です。

途中、道路工事の影響で十数分延着です。
なんてこったい。
とりあえず、「万が一迷った時用」のゆとり時間が
あっさりとなくなりました。

8月のこの時期の日差しは厳しい。(←去年懲りてるはずなのに)

とにかく、目的地に急ぎます。

出雲市駅からいそいそと北上。

八雲神社

東方と関係あるようで無いようで。
八雲の名前と、萃夢想での紫のスサノオ冗句と
儚月抄の祇園様くらいかしらん。

主祭神は須佐之男命、八島士奴美命、天照大神。
スサノオの詠んだ歌、
八雲立つ出雲八重垣つまごみに 八重垣つくるその八重垣を
に由来する神社。
海上安全、農林業、商業、鉱業など産業安全の守護神、
疫病、厄除けの大神として崇拝される。

本殿と拝殿

その北側は八雲公園。
謎のピラミッドから水が四方に伝う涼感。

この背後には高瀬川が流れています。
ちなみに、そこに架かる小さな橋は八雲橋でした。
八雲づくし。
出雲なので当然と言えば当然ですが。

 

さて、ここからさらに北上します。

比那神社

またしても東方との関連は薄し。
比那名居天子の名に関わるか、思い過ごしか。

当社は出雲風土記(七三三年)及び延喜式に所載の古社にして
御祭神は比那鳥命 別名を武夷鳥命とも申し日本書紀に明らかなり
即ち天照大神の御子天之穂日命を父神として天孫降臨に先立ち
この出雲国に降りて大国主命に対し国土奉献の使者の任務を
平和裡に遂行された軍使の神で 後、此処比那原の地に宮造りし
鎮座し給う

境内
狛犬が今にも飛び掛かる態勢ですね。

拝殿
さすがは出雲大社のお膝元。
ぶっとい注連縄です。
綯い方も出雲っぷり。

本殿

うむ、実際に来てみましたが、
特に目新しい発見は無しです。
つまり、比那名居の比那は相変わらず謎。
フツヌシを重視するならこちらの比那(比那鳥命)も
看過は出来ませんが。

 

さ、迷いタイムものんびりタイムも無いので
JR出雲市駅へと取って返します。
暑いよーと言いながら、徒歩で。

 

出雲市駅のバスターミナルで一畑バスに乗り、
出雲大社を目指します。
しかし、さすがの出雲大社&お盆休み&特別拝観。
結構な人出です。
効率よく人をさばくために、
ターミナルで乗車券を事前販売してましたのでこれを購入。

【関連リンク】 一畑バス

 

 

バスに揺られて20分と少し。
(大社前の混雑で延着)
出雲大社です。

どーん。
って、托鉢…(汗
神仏再習合ですか。

【関連リンク】 出雲大社

二の鳥居

南に聳える大鳥居もカウントするなら三の鳥居ですな。
人が多いです。暑いです。11時。

銅鳥居と拝殿
奥の山が八雲山、かな。

写真の右手後方では、
御本殿特別拝観の当日受付がされておりました。
ただいまの受付は午後2時からの拝観となりますー。えー。

拝殿

出雲大社などでは注連縄は左から綯われます。
1.5トンでしたっけ。
注連縄に小銭を撃ち込もうとする人がチラホラ。
落ちた硬貨がうるさいし、人口密度が高まる…暑いのに…

ちなみに、二礼四拍一礼です。

このあと、本殿を遠くから部分的に見たり、
真新しい仮拝殿を見したり
(平成の大遷宮のため、御神体は本殿から仮殿へ遷座中)
宝物殿を見学したり。

さすがは出雲。

御本殿の特別拝観は叶いませんでしたが、
その天井に描かれているという八雲之図は記念絵葉書にありました。
鮮やかに色とりどりの多数の雲が七つ。
なぜ七つか、なぜ一つだけ逆行しているかは謎だそうで。

さて、当初はまっしぐらに拝殿を目指したので、
帰途には参道の回りもじっくり見学。

大國主大神が幸魂奇魂を拝戴する場面

(前略)古事記また日本書紀に述べるところであります。
出雲大社の御祭神大國主大神はこの幸魂奇魂の "おかげ" をいただいて
神性を養われ「ムスビの大神」となられました。生きとし生けるものすべてが
幸福になる「縁」を結ぶ "えんむすびの神" と慕われるゆえんであります。

なるほどー。
ヨメさん(と子供)が多かったから「縁結び」
ではなかったのねー。

こちらは因幡の素兎。
てゐですな。

正門前には太古の御本殿模型が展示されています。

 

そのまま南下すると一畑電車の出雲大社前駅に行き着きます。
ここから一路松江へ。

【関連リンク】 一畑電車

 

 

宍道湖に臨む車窓から
眺望を楽しみつつガタゴト揺られて昼下がり。
終点の松江しんじ湖温泉駅で下車。
所要1時間。

 

バスのリンクが上手くいかなかったので
まぁ、のんびり行くさとてくてく歩きました。
レンタサイクルという手もありましたけどねー。
駅から北西に歩き、松江城の堀に至れば
あとは堀に沿って時計回り。

小泉八雲記念館

の門。

小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)の直筆原稿や遺愛品を
数多く収蔵・展示しております。

【関連リンク】 小泉八雲記念館

そのお隣、小泉八雲旧居

小泉八雲が島根県松江に英語教師として招かれたのが1890年8月。
翌年11月には熊本に転勤となった。
その間に小泉節子と結婚(正式な結婚は1896年)。
1891年の5月より、手狭だったそれまでの住居から、
今少し裕りのある落ち着いた住居を求め、この家に引っ越し、
熊本転勤の頃までの半年そこそこの短い期間住んでいた。
しかし、この家に対しての愛着の念は強く、1896年に
熊本からさらに神戸へと移る際、交通の不便をも顧みず
わざわざ松江に立ち寄ってこの家を訪れ、「我が家に帰った」と
屋敷の中で松江での生活をしばし懐かしんだと言われる。

八雲は東京で亡くなるまで14年間を日本で過ごし、
松江・熊本・神戸・東京の4都市、10軒の家で生活を営んだが、
八雲が住んでいた当時のまま現在も保存されているのはこの屋敷のみ。
八雲がこの家を借りた経緯は、
八雲が知人を介して、是非庭のある侍の屋敷に住みたいと申し入れた折、
根岸干夫(当時の簸川郡郡長)の所有する家でたまたま空き家だったことから、
とのこと。
規模こそ小さいものの、枯山水の鑑賞式庭園は評価が高く、
八雲もたいそう気に入っていたそうな。
住居の構造を見るだけでなく、各部屋をぐるっと取り囲む、
「知られぬ日本の面影」の舞台となった庭を観覧します。

(以上、小泉八雲記念館のしおり、小泉八雲旧居しおり、小泉八雲旧居の記、より)
(小泉八雲旧居の記は小泉八雲旧居にて購入。しおりはそれぞれ入館時にもらえます)

【関連リンク】 山陰観光案内(小泉八雲旧居)

 

さてさて、小泉八雲記念館&小泉八雲旧居を発ちまして、
その南に位置する松江城をちらりと見た後、
松江城南東の県民会館を目指します。
県民会館南側のバス停から松江市営バスに乗り込みます。

【関連リンク】 松江市交通局

松江駅や松江しんじ湖温泉駅から小泉八雲記念館を目指す際には、
この松江市営バスの「ぐるっと松江レイクライン」のご利用も良い按配です。
私は時間がマッチしなかったので歩きましたが。

 

バスに揺られて30分、着きましたのは八重垣神社。

鳥居と楼門

素盞鳴尊が八岐大蛇を御退治になる際 斐の川上から七里を離れた佐草が安全な場所
であるとしてえらび大杉を中心に八重垣を造って姫をお隠しなさいました
そして大蛇を退治して 「八雲立つ出雲八重垣妻込めに八重垣造るその八重垣を」
という喜びの歌をうたい両親の許しを得て 「いざさらばいざさらば連れて帰らむ佐草の郷に」
という出雲神楽歌にもある通りこの佐草の地に宮造りして御夫婦の宮居とされ
縁結びの道をひらき掠奪結婚から正式結婚の範を示し出雲の縁結びの大神として
又家庭和合、子孫繁栄、安産、災難除、和歌の祖神として古来
朝廷、国司、藩主の崇敬が厚く御神徳高い神国出雲の古社であり名社であります。

女神を閉じ込めるスサノオの八重垣ですよ。
ここも縁結び。
カップルが何組か。

拝殿

注連縄は、やはり出雲地方ですな。

本殿

【関連リンク】 出雲國神仏霊場(八重垣神社)

境内奥には鏡の池があり、
ここで占いの紙を浮かべて縁を占ったりします。
用紙は授与所にて入手できます。

珍しいことに授与品目に名刺入れなんてあり、
ついつい入手してしまった。
あとはやたらふくよかな稲田姫守りとか。

 

バスにて八重垣神社前からまた20分、
JR松江駅に到着。

 

 

JR松江駅から快速アクアライナーに乗車し
勢いよく東進。
と思ったけど、人が多い〜
部活終わりの学生が密集で汗臭いー。

10分ほど移動し、JR揖屋駅にて下車です。
いや、汗臭さのため離脱したのではなく、予定通りですよ。

揖屋駅を出て、次の目的地に行くには、徒歩、揖屋駅からタクシー、
あるいは松江あたりからレンタカー、くらいしか手段がありません。
タクシーご利用の場合は、駅前にタクシーが必ずいるとも限りませんので
駅到着までに手配しておくことをお勧めします。

国道9号線をひたすら東進するとこんな案内版が見えてきます。

出雲神話
黄泉比良坂
黄泉の国入口

黄泉の国へご案内〜。
この先右折〜。

ちょっと坂道が厳しいですが、
まだまだ暑さも厳しい午後4時、
木々が生い茂り、このあたりだけは
ヒグラシの唱和に包まれています。

車数台分の駐車スペースと共に、石碑の類がそこにはあります。
ダイレクトに直進せず、写真から見て右方向に道がありますので
そこからこの駐車スペースを回りこむ形でアプローチしますよ。

黄泉比良坂(よもつひらさか)

注連柱ですな。結界。

黄泉(あの世)の国と現世の境界の地として古事記上巻に、伊邪那岐(いざなぎ)命が
先立たれた最後の妻、伊邪那美(いざなみ)命を慕って黄泉の国を訪ねていかれた入口が、
この地(黄泉比良坂)であるとされている。別名「伊賦夜坂」の起源でもある。昭和15年に
「神蹟黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地」と刻んだ石碑が設立された。

これがその石碑ですな。

神蹟 黄泉平坂 伊賦夜坂 傳説地

この地を囲む森からひぐらしの声が響き渡る他、
直近でも鳴いておりました。
異界を感じさせるほどに、少し前に歩いて来た地上と
雰囲気が一転しております。

桃の木

黄泉の国の醜女達に追われここに逃れてきたイザナギ命は
桃の実を投げつけ退散させた
最後にイザナミ命自ら追いきたり
大岩をもちて塞ぎ生の國と死の國の境となせり
千引の大岩なり

大岩、かな。
あと賽銭箱。

とりあえず賽銭入れて
大岩に向かって二礼二拍一礼。
賽銭箱が遠慮がちに駐車スペースの方を向いているから
これで正しいのか戸惑う。

また、案内板によると、
ここから西へ200メートルほど行くと
道祖神と追谷坂と呼ばれる急坂があり、
付谷町に通じているそうな。
すごい獣道・山道しか見当たりませんが。
同様に、東へ400メートルは意東に通じる
夜見路越えとされる峠、古道だそうな。
ここの神が塞坐黄泉戸大神(さやりますよみとおおかみ)だそうな。
まぁ、これは道すら見当たりませんが…(汗)
大きな池を回りこむのかな。

揖屋駅方向の西進はまだ分かりますが、
東進はきついなぁ…。
結局はどちらも行きませんでしたが。(ぉ

 

では、黄泉との境界をそそくさと後にし、北へと歩きます。
山陰本線の線路を越え、突き当りを左(西)へ。

 

…あついー。
汗がだくだくですよ。

揖屋神社

黄泉比良坂のついでです。
神社辞典(東京堂出版)にも載ってましたし。

出雲地方でも熊野大社(八雲村)と共に最も古く、
風土記に「伊布夜(イフヤ)社」と記され、
日本書紀 斉明天皇の条に「言屋(いふや)社」の名で登場する。

【関連リンク】 東出雲町ホームページ(揖屋町の神社)

あぁ、カメ(?)が天地プレスの犠牲に…

こちらにも注連柱。
その奥の楼門にはやはりごんぶとの注連縄。
そして、臨戦態勢の狛犬。
今日巡った各所の要素が詰め込まれてますよ、偶然にも。

拝殿

拝殿内

拝殿横の階段を上がると、本殿を拝めます。
こんな立派な神社とは予想してませんでした。
でっかい。
「ついで」なんて言ってすみません。

境内北東には夜見路庵なる吾妻屋があります。
この案内板には先述の
黄泉比良坂の夜見路谷も紹介されています。
階段を昇ると木々に囲まれた小休止出来るスペースがありました。
「桜の名所」のため植樹したというからにはそれは桜の木。
というわけで、春に訪れるのがオススメです。
黄泉平坂スペルを使う幽々子を意識すると、
やはり桜の季節が断然よさげですね〜。

 

この後、揖屋駅へと戻り、
ばっちり当初の予定通りJRに乗車。
山陰本線と快速とっとりライナーに2時間揺られて鳥取駅へ。

20時前にビジホ着。
お疲れ様でした〜。
一日目、了。

 

 

二日目へ

 

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