というわけで、1日目・中編。
秘法「串刺し」
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1日目A 茅野→前宮→小袋石
1日目B 守矢史料館→→本宮
1日目C 本宮→上諏訪→秋宮
2日目A 秋宮→春宮→上諏訪
2日目B 茅野→原村→御射山
2日目C 御射山→茅野・宮原
レンタサイクルでGO!GO!
で、唐突に墓地です。
熊野堂。
写真右手、ススキの陰の黒石に
「熊野堂」 と刻まれています。
熊野堂墓地は、高部村の古い共同墓地であり、
神長官守矢家・権祝矢島家などの墓もある。
熊野堂墓地の奥には守矢家、矢島家の墓が並ぶ。
写真右手である。
部外者ながら手を合わせて参りました。
木立で道路側からは秘匿されていますし、
観光のノリで踏み込むところではないと思われたので
これ以上接近した位置での撮影は自粛。
熊野堂の近く、大祝諏方家墓所。
ここから北東方向に、守矢史料館があります。
守矢史料館
こちらも二度目ましてー。
薙鎌
諏訪神事の御神体といわれている物に、鉄製の「薙鎌」がある。
現在、諏訪神社の御分社の場合、薙鎌を御神体としてお分けしているという。
また今でも御柱祭のとき、上社の本見立をした御柱(決定した御柱)に
薙鎌を打って、御神木になったことを表示している。
(中略)
薙鎌は風害を除く呪物と考えられ、実りの秋の大敵である大風を、
鎌で切って弱めようとする考え方。
また陰陽五行の原理である「金克木」からの説明は、
風は「木気」であり、風を制するには「金気」がよく、
木に鎌を打込むとする考え方である。
(「神長官守矢史料館のしおり」
より)
凪鎌とも書かれ、諏訪大神の象徴であり、
神霊が籠り給う尊い御神器でもある。
日本書紀の持統天皇五年(六九一年)八月の条に
「遣使者祭竜田風神 信濃国須波水内神等」
とあるが、諏訪大神の水(雨)や風を司る神としての
御神徳から、薙鎌が風を鎮める祭器との
信仰が生じ、民間では大風が吹くと鎌を
屋根の上に立てる風習も生まれた。
(「諏訪大社 宝物殿の栞」
より)
御頭祭の供物の復元展示。
改めて写真撮影可能な範囲を確認し、
奥の展示室以外は撮影可との回答を頂いた。
上社古図を目に焼き付けつつ。
そういえば、他の来館客が受付の館長さん?に
小袋石への行き方を尋ねてはったので、
差し出がましくも、ちょうど不要になった
小袋石をチェックしたプリントアウト地図を進呈しました。
彼らはきっと東方フリークスだと勝手に思い込んでる私。
九字刺し→串刺し→(上図)→てゐー!?
「九字刺し」 の考察で 「串刺し」 に辿り着いたら、
そこからは 「御頭祭」 のコレっきゃない。
サナギの鈴 (鉄鐸)
春三月、諏訪大神のお使い(神使)がこの鈴を棒杖の先に結び付け、
鳴らしながら信濃の国中を巡回し、それぞれの祭典の場所では、
鈴を御神体として祭事をしたとある。
(「諏訪大社
宝物殿の栞」 より)
壁には 「ミシャグジ神の鈴」 と紹介あり。
よばれて飛び出てミシャグチ様。
館外に出たのは私の方ですが。
御頭御社宮司総社
秋の実り、栗がいくつか供えられていました。
守矢史料館を出て少し進んだら
祝神の不意打ち。
立石祝神。
写真右手の川の対岸には石碑がいくつか並んでました。
やはり諏訪大明神のお膝元、油断なりません。
さて、気を取り直して、
最短ルートで大祝邸跡へ。
春日神社、と地図ではそう書かれていました。
春日神社左手奥に 「東照宮跡」 の碑が。
なんだろう。
春日神社裏にはフェンスの向こうに蔵。
梶の紋ですし、写真右手方向は大祝邸跡ですし、
推して知るべし、ですかね。
「諏訪大社と御柱」
の八ヶ岳原人さんは
上社古図から、この土蔵付近が松湛木跡か、と推測されています。
(※参考:「諏訪大社と御柱」 様の上社散歩道、松木湛木跡)
大祝邸跡
こちらも二度目ましてー。
その近くの辻。
八ヶ岳原人さんのウケウリで、
上記よりもこちらの方が松湛木跡の可能性が考えられます。
(※参考:「諏訪大社と御柱」 様の上社散歩道、松木湛木跡)
前回は知らずにこの道を通り、
この写真に写る道祖神たちもしっかり撮影したりしてました。
どちらにしても、何も痕跡は残ってないんですけどね。
さらに移動して、やってきました諏訪市博物館。
二度目ましてー。
展示の都合でないがしろになっていないでもありませんが、
大祝即位式場です。
前回スルーしちゃったツケですかな。
ちなみに、館内の撮影は、
展示室外であれば可だそうです。
二階の御柱は…どうなんでしょう、ちょっと微妙?
館内での撮影時には予めご確認を。
展示も一通り拝見して、
(一階休憩室の御柱特集がなくなってましたね。
二階の御神渡り特集も。)
特別展の湖底遺跡特集も興味深く拝見して、
前回見落としていた常設展示ガイドブックも購入して、
意を決して離脱。
昼食
昼食を食べつつ、諏訪市博物館で入手した
「諏訪市博物館周辺散策マップ」
を見ていたところ、
大祝邸跡、権祝邸跡の他、
祢宜太夫邸跡、擬祝邸跡、副祝邸跡が記されているのを発見。
時間に余裕があるので、これは行ってみねば!
祢宜太夫邸跡近辺?
付近をぐるっと回ったけれども目ぼしい物は無し。
うーん、てきとうに地図の指すポイントを撮影。
ちなみに写真左手から伸びる長い階段の上は北斗神社。
その階段は修業じゃろう。
副祝邸跡近辺?
付近の墓地も見たけれども手掛かり無し。
うーん、てきとうに地図の指(略
こちらは権祝邸跡。
立ち入り禁止なので、良い按配での写真撮影は難しい。
擬祝邸跡近辺?
付近で祠を見つけたので撮影。
以上、祝跡シリーズでしたが、てきとうすぎました。
おそまつ。
さて、気を取り直して本宮へ向かいます。
大型車両も通過する道であるためか
赤いラインが引かれた鳥居。
5,6年前には破壊されちったらしいし。
諏訪大社上社本宮
境界の橋から、手水舎
こちらも5年ほど前に一度
トラックが突っ込んで破壊されたとか。
無茶だぜ、道路事情。
梶の根は四本。
手水舎の反対側
蛙狩神事が行われるのはこのあたりかな?
いざ、本宮へ。
つづく