2日目・後編〜。
贄符「御射山蛙狩神事」
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1日目A 茅野→前宮→小袋石
1日目B 守矢史料館→→本宮
1日目C 本宮→上諏訪→秋宮
2日目A 秋宮→春宮→上諏訪
2日目B 茅野→原村→御射山
2日目C 御射山→茅野・宮原
レンタサイクルでGO!GO!
というわけで、御射山社
左が御射山社、右が国常立命社
ここに鎮座する御射山社は、建御名方命と国常立命を祭神としている。
中世には、この社のある通称原山の一帯は神野 (こうや)
と呼ばれる
諏訪上社の社領で、上社の御射山御狩の祭事が行われていた。
それは秋季の台風などが平穏に過ぎ、五穀が豊かに稔るように
祈願する
「風祭り」 の意義をもつものであった。
祭事は旧暦の七月二十六日から三十日までの五日間にわたり、
穂屋
(ススキで囲った仮屋)
を造営して大祝・神長官をはじめ
多数の神官や武士などが参籠し、狩りを行って獲物を神に供え、
豊作を祈願し、また流鏑馬などの武技競べも行われたと伝えられる。
御射山社前から穂屋方面
そのまま右手に頭を巡らせると
社叢に囲まれた空間。
先述の案内板の脇からすぐに境内への坂を下ると、
写真の石碑すぐ前を横切る道を辿ることになります。
神木クラスの大木もわんさか。
(例のタイプの)鳥居の横には 「御射山社」 とあります。
ここも御射山社。
鳥居をくぐると石の柵で囲まれた3つの領域が目にとまります。
神功皇后社、子安社、伝大祝有員公塚
奥の鳥居の向こうに大四御廬社。
写真右手に穂屋、
その脇に磯並社、という位置関係。
穂屋
上社七不思議の一つ、
穂屋野の三光!
の穂屋です。
そうです。
そうですね。
福井弁で言うと、
ほや。
ほやの。
底ねけ脱線ゲーム!
さらに奥の方には三輪社があり、
ちょっとうろうろしていると
足元に何やら動くものが!
ケロちゃん!
諏訪に来て蛙に遭遇とは、
こいつぁ東方的には縁起がいいや。
順番的にも。(ぉ
うむ、今回の無茶スケジュールの成果として
目的箇所はあらかた見れたので
とっとと茅野方面に戻りますかな。
これまでの登りで苦しんだ分の位置エネルギーを解放し、
西の国道20号線(甲州街道)へ向けてビューンと下ります。
爽快。カタルシス。
もちろん、気を付けながら、適度なスピードで、ですよ。
途中、こんなに下って、茅野方面へはまた上りばかりだったらどうしよう、
とか不安に駆られるほど下りましたが、
それでも20号は緩やかな下りがメインでした。
たまに登りもあったけど、良かった良かった。
それよりも、歩道が狭かったり片側だけだったり、無かったり、
その割に交通量は激しかったりするんですけど…
遠くに鳥居が見えたので撮影。
デジカメ画像を拡大してみたところ、
穂屋之木大明神、と額束に刻まれていました。
大きな石碑には 「蠺玉大神」 とあり、
蚕 (かいこ) の神の蚕玉 (こだま)
様ですね。
長野県ではよくあるらしいです。
御柱屋敷 (後述) の近くにもありましたし。
左の石像は鬼子母神だそうです。
手前の石碑に刻まれた見出しから。
細かい文字はさすがに読めませんでした。
国道が中央道と交差する直前で
中央道の直下の道へと離脱。
旧境内地が中央高速道西ノ宮線の本線内の用地となりたるため
その隣接地に境内地を定め造成し本殿及び覆殿を新築しこの碑を建てる
昭和五十三年十二月吉日 諏訪大社氏子一同
そうか、こういう場合は覆殿というのか。
ひとつ勉強になった。
そして、本殿
境内の朽ち木。
相当でっかくないですかい?
一之御柱と秋模様
さて、山道をかなり頑張ったのと、
御射山から茅野までが
予想よりも速やかに行けたので
随分と時間が余りました。
電車の時間の少し前に自転車返却の約束をしたので
その時間まで4〜50分ほど潰さねば。
とりあえず…
茅野から近い前宮へ行ってみますか。
って、さすがに三回目(しかも二回目は前日)となると
何を見たものか…。
と、前宮を目指す途上で妙な建物が。
昨日も、これなんだろうなー、と思いつつ前を通り過ぎていたのですが、
写真でも撮ってみるか…と改めて眺めると…
ありゃ? あんなところに御柱が?
四本一組がセオリーの御柱が単独で?
俄然面白くなってきました。
が、そこに説明書きは無し。
平成十六年の御柱祭パンフレットを再び引っ張り出してみますと、
「オリンピック記念御柱」
と書かれていました。
なるほど、冬季長野五輪のオープニングで建てられた御柱ですか。
と思ったら、平成16年7月に、本一の古御柱と入替えになったそうで。
すなわち、現在は本宮の古御柱だそうです。
(※参考:「諏訪大社と御柱」 様の 「御柱」
から御柱紹介の
オリンピック御柱 ならびに 古御柱・本一)
ちなみに、写真左の謎二階にも上ってみました。
何だろう…よくわかんないです。
とにかくカオスですね、河岸。
御柱に近づいてみると、
その近くに目処梃子付きの御柱があることに気付く。
あぁ、なるほど、
御柱曳行の最大難所、川越しの場でしたか。
どうりで。
宮川を南向きに撮影
うーん、四月の川に入るだけでもすごい話だなぁ。
おや、対岸に赤い鳥居を含むミステリースポットを発見。
わくわく。
対岸へ回ってみた。(途上にも石碑やらありましたが)
およ、川を背にされているようで、
堤防上からは後頭部 (ぉぃ)
しか見えませんね。
というわけで、ちょっと危険ですが正面に回り込んで撮影。
しまった、自転車の停車位置は完全な油断。
宮川渡しの青木の森
諏訪大社上社本宮と前宮の御柱を引き下ろす 「山出し」 は、
坂おとしの
「木落とし」 が終ると、ここ宮川端の 「青木の森」 を
めざして、さらに御柱を引き下してくる。宮川に差しかかると、
御柱を洗い清めるために
「川越し」 を行うのであるが、これは
御柱祭の中でも勇壮にして豪快な見せ場の一つでもある。
かつては御柱を迎える諏訪大社の神官・社人の詰めた
ところであったが、現在は伊藤講の祝神と合祀し、
平成一年に三年がかりの河川改良の整備が完了した。
その脇にはみだりに立ち入りを禁じる結界(弱)が。
この部分だけ堤防から緩やかな斜面になっています。
ははーん、ここを御柱が下るわけですな。
またまた回り込んでみる。
青木の森神社脇から、こう、下りて来るわけですな。
こうやって見ると…えらいところから写真を撮ったもんですな。(汗)
さらに小道を越えて、この広場に到着する、と。
御柱休めの御柱屋敷
諏訪大社上社の御柱祭で山出し最後の見せ場である宮川渡しの
「川越し」
を終えると、各御柱はここ御柱屋敷に引きつけられる。
その到着と同時に一同は、御柱山の御小屋に向かい、
「山の神様お帰りだ 皆様ご無事でおめでとう」 と
御幣を振って
「山の神帰し」 の木遣歌をうたうを例としている。
本宮四本、前宮四本の御柱は、決まり通りに引き揃えられると
周囲に注連縄を張って、御柱休めの神事を行い、一ヵ月後の
五月の
「里引き」 を待つのである。
その一ヶ月の間に、御柱は皮を剥かれたりするらしい。
うーん、途中から御柱祭に脱線しましたが、
そろそろお時間と相成りました。
川越しの場に戻り、茅野駅を目指しました。
もちろん、無事に自転車を返却し、
二日間を共にした相棒とお別れ。
茅野駅で地酒の小瓶5本セットを購入しました。
前回は茅野の後に御射山を目指したので3本セットにしていたのですが、
今回はもう列車で帰るだけですから、シッカリと5本で。
5、と言えば、
いやぁ、2回、計5日間で堪能しました、諏訪。
というか、前後の忙しさのせいか
ハリキリ過ぎました。
もちろん、翌日はバッチリ筋肉痛でした。
すなわち、旅行一日目の翌々日です。(^-^;;
以上、おそまつさまでした。