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2日目・中篇

土着神「七つの石と七つの木」 001/005

 

メニュー

1日目A 茅野→前宮→小袋石
1日目B 守矢史料館→→本宮
1日目C 本宮→上諏訪→秋宮

2日目A 秋宮→春宮→上諏訪
2日目B 茅野→原村→御射山
2日目C 御射山→茅野・宮原

レンタサイクルでGO!GO!

 

 

茅野のショッピングセンター・イオに到着。

茅野駅方面から東へ向かうと
ゆるやかーに上り坂だったので
やんわりと体力を殺ぎ落とされました。

石田祝神

またも 「諏訪大社と御柱」 様のそのままウケウリで、
やって来ました柳湛木跡推定地近辺。

すぐ向こうはショッピングセンター。

 

続いて、さらに東へ進み…

って、予想以上に急な坂道が続きます…

歩道もろくに無いので
ちんたら自転車を押していると幅を取って迷惑。
ということで、しばしば止まってひといきつきながら
斜面を駆け上がるぅぅーー!

小泉地区方面に道を折れたら歩道があったので
こちらはちんたら押して歩く。

遠くに八ヶ岳。
秋の風景。

大天白社 櫻湛木跡地

櫻湛木 諏訪の七木

昼湛之宮和田日向天白宮に櫻湛木有凡
四五かひも有之寛政の始頃杜木成る
其後退転也

(※参考:「諏訪大社と御柱」 様の上社散歩道)
碑文の実にすっきりした解読もなさっています。

 

さらに坂道をヒーヒー言いながら進み、
神之原地区へ。
高所ともなると良い景色が広がり、
方々の山もよく見えます。
…それはまた後程ご紹介するとして…

七社明神社。

道路とは距離を置いて神域。
社叢にほれぼれ。
実に見事な結界っぷりです。

神域に踏み込んで、右手に拝殿が位置します。

七社明神社 (しちしゃみょうじんしゃ)

七社明神の、社。

七社大明神

拝殿の右手に

干草湛木跡。

神域に踏み込んですぐに右手にあるので
社殿よりも先に足を運んでしまうかも。

本殿左手の石祠。

境内の他の祠と見た目は同じ位の大きさなのに、
表示(X之柱)付きの御柱を伴う社。
ひょっとしてお偉いさん?

境内の隅には 「境界改メ」 が、
複数年分束になって立っていました。

 

七社明神社から東へ進み、
玉川小学校傍の交差点を南へ。

なかなかの見晴らし。

秋の田越しに八ヶ岳。

東の方に来たせいか、
八ヶ岳も心持ちはっきり見える気が。

通り道の神社も逐一チェックしてみた。
こちらは寝神社。

帰ってから平成十六年の御柱祭のパンフレット
(諏訪市博物館にて入手)を見たところ、
寝神社も載っていました。
いったい誰が寝るのかというと、
山出し初日に曳行されてきた上社の御柱。
したがって、地区名も子之神 (寝之神) なのだとか。
現在では御柱もお泊りまではせずに、
清めの儀式だけが行われるのだそうですが。

さらに南下して、山神社。

たぶん、遠くに見えるのは霧ケ峰・車山高原方面

金色の野と、中央右手付近が守屋山、かなぁ。
非常に小さいですが、写真右手に諏訪湖も写っています。
思えば遠くに来たもんだ。
しかもチャリで。

 

さらに南下。
視界に建物が増えてきて、
ちょっとだけ久しぶりに出会った信号機を曲がり
東へ進路変更。

柏木大山祇社
あるいは、大山祇神社。

周囲の土地より少し小高い境内。
高低差も立派な境界。

左手奥に見えますが、御柱有り。

 

さ、寄り道キャンペーンも終了〜。
目的地到着です。

闢盧社 (あきほしゃ)

闢盧社は、諏訪大社上社に属する十三の摂社のひとつであり、
食物を司る 「保食神(うけもちのみこと)」 を祭神として祀る。

社の名称は諏訪神長官守矢文書によると、
秋尾、秋庵、秋穂、闢庵、闢盧等と
いろいろなものが見られるが、
いづれも読み方はアキホである。

また闢盧社の歴史は古く、同文書によると
嘉禎四年(一二三八)九月申日、
秋尾御狩神事が行われた事が記されている。
秋尾御狩神事は諏訪大社、年四度の
御狩神事のひとつで九月下旬に行われたが、
現在では八月二十六日から三日間にわたって
行われる御射山御狩祭の際、第一日目の
上り祭として諏訪大社の神職によって
執り行われ、御射山神社祭神のひとつである
大元尊神(國常立命)の神輿が、当日の朝
諏訪大社上社を出発し、闢盧社に立ち寄り、
神事を行う。

社殿は昭和五十五年に諏訪大社下社の
宝殿を移築したものである。

橡湛木跡

境内には他にも枯木跡がありましたが、
大樹に当てはまりそうな形跡はこちらです。

(※参考:「諏訪大社と御柱」 様の上社散歩道)
こちらのサイト様には神殿内の橡湛木の一部の写真も。

社殿裏

ともかく、これにて一応、
七つの石と七つの木、コンプですかな。

 

425号線でガンガン南下。
時々起伏に見舞われつつ。

と、淡々と書いてますが、やはりチャリでは無謀路。
石田祝神以降の行程はすべて自転車 『非推奨』。
体力自慢の猛者は頑張って下さってもかまいません。
私は猛者じゃないので悪戦苦闘。

景色はたっぷりと満喫できますがねー。

光の加減か、近づいたためか、
八ヶ岳の山肌が心なしかちょっとクリアに。

日電ロジステック前から
ガッタガタのジャリ道に突入(アトイーズさんゴメンナサイ)。
割と最短ルートで次の目的地を目指します。

おっと、目的地に至る一歩前に、
石碑がぽつぽつと見出される地点が。

「競馬記念碑」

勝ち馬投票券を買う、あの競馬ではなく。

他の石碑は解読困難…

御射山社

ついにリベンジが成った!
先ほどの石碑群は右手の歌碑・句碑群でした。
競馬記念碑は、右手の旧競馬場跡、
すなわち御射山の遺跡にちなむものと推測されます。

案内板のすぐ背後に富士浅間社。
おなじみの鳥居ですね。

案内板左手のルート、
鳥居をくぐってから御射山社に至るルートを選択します。

いよいよ、境内に足を踏み入れます。

と、人がドキドキしている横から五月蝿いぜ君達。

見知らぬ人間にも尻尾を振る左、やたら吠える中央、物陰からそっと伺う右。
なんという面白キャラクター…。

 

いったんここで区切って、
次はいよいよ御射山です。
(リベンジ)

 

つづく

 

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