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5月6日
「西行路悠々行」
さぁ、二日目です。
相変わらず、小雨続き。
富士宮駅から身延線で十島駅へ。
十島駅です。
誰もいません。無人駅。
では、ウォーキングです。てくてく。
新万沢橋から富士川、下流方向。
橋を渡ると国道52号の身延道に合流するので、
こちらを北上します。
ひたすらてくてく。
西行バス停を発見。
南部町営バスが十島駅から出ていますが、
日曜祝日はお休みです。
というわけで、てくてく。
このあたりの地名は西行です。
せっせと歩いて45分。
ようやく案内板が。
実はだいたいの位置しか知らなかったので、
思わず西行バス停の脇道に飛び込んで時間をロスしていたのでした。
そんなわけで、実際はこの時点で1時間くらい経過しています。
ロスなく歩いたら45分くらいかなー、と憶測。
坂道を700mほど登ると、駐車場が。
いやぁ、坂道しんどい。
しかし、あとひといきだぜ。
ええ〜…。
何だかさらに急な斜面が…。
そして、どんどん急になる…。
ようやく到達、西行公園ー。
公園と…車が一台?
運転席で寝てる人が居ました。(^^;;
うーん、写真では伝わりませんが、小雨と強風。
富士見三景と称される盆中の富士は、
西行公園最初の写真の遊具類のさらに奥から見えるはずですが、
この天候なので最初からあきらめています。
この写真は西行庵のあたりからの眺めですので
富士とは全然違う方向になります。
富士川下流方向。
富士川上流方向。
西行という名前の由来は西行法師が東国行脚の途中駿河の国より富士川に沿って
甲斐の国に入り、この峠の下の村に案を結び暫く住みました。故にこの村を西行村、
峠を西行峠、峠までの坂道を西行坂と言います。
この西行法師ゆかりの西行峠は、かつての甲駿往還であり身延道であります。
(中略)
西行峠より見る富士山は「盆中の富士」といわれ、御坂峠、花水坂と並んで
「富士見三景」と称せられています。
西行庵からもう少し登りますと、西行法師歌碑があります。
東の方へ修行し侍りけるに 富士の山をよめる
風になびく 富士の煙の 空に消えて ゆくへも知らぬ わが思ひかな
あれ、ひょっとしてこの写真は富士の方角を含んでいるかな?
友と仰ぐ 盆中の富士 西行忌
こちらは鉄之介の歌碑。
西行歌碑横から富士川上流。
上流からの風で小雨弾幕がー…
このあと、ぼちぼちと歩いて戻りました。
と言いつつ、時間ロスがあったので、少し急ぎ足で。(^^;
身延線で2時間ほど揺られて甲府駅下車。
ちょっとぶらぶらした後、中央本線で下諏訪駅へ。
また諏訪か!とつっこまれそうですが、(^^;;
本編でも風神録2回と地霊殿1回で計3回守矢の神社ステージが出ますから、
3回までは許容です。きっと。
そして、何度目かの秋宮へ。
春宮の大修理は前回ご紹介しましたが、これが今年秋まで。
そして、その後、秋宮の大修理が今年秋から再来年秋まで。
秋宮の大修理は幣拝殿に加えて神楽殿も含まれます。
雨に潤った神楽殿。
雨滴も写り込んでおりますが、幣拝殿。
以前にメッセージ&レス欄で話題に挙がった、さざれ石。
平安時代前期に発見されたさざれ石は、石灰が雨水に溶解され、
粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)となり、何千年、何万年もの間に
小粒な石を凝結して次第に大きな巌となり、苔むしてくる石。
秋宮近くの綿の湯。
今までスルーしていたので、ここで紹介。
金属棒でガードされた石球は、この時は静止していましたが、
翌日見たら湧出する湯に乗って回転していました。
綿の湯の浴場は老朽化で廃止されましたが、
綿の湯はモニュメントの形で残されています。
その昔、上社に住まう八坂刀売神がダンナの建御名方神とケンカして、
八坂刀売神は下社に移動してきたことがあったそうな。
その際、愛用の化粧用温泉を綿に湿し、湯玉にしており、
それをポンと置いたところに温泉が湧き出した、それが綿の湯だと伝えられます。
壁面の陶板レリーフ。
木曽路名所図会に描かれた下諏訪宿の情景。
さて、春宮です。
引き続き、大修理の最中。
仮拝所が神楽殿前から一之御柱近くへ移動されていました。
今回、下社春宮・秋宮の、屋根を中心とした修復が実施され、
御屋根が「桧皮葺」に復元され、旧社格官幣大社としての風格を取り戻します。
翌日訪れた本宮にも類似の案内がありました。
そういえば、これまで万治の石仏を訪ねていなかったので、
三度目にして。
とりあえず、足の疲れが癒える様にお祈りしました。
まぁ、祈るだけというのもアレですので、
夕食は下諏訪のとんかつ専門店・丸一にて
とんかつ定食を食し、栄養分を補給ー。
食べ応えあるとんかつでした。
さて、今晩は旅館にチェックインしまして、
二日目は終了でございますー。