東方風神録 〜 Mountain of
Faith. [タイトル] 東方シリーズ第10作。 とうほうふうじんろく 〜
マウンテン・オブ・フェイス。 幻想郷の秋は深まり、 実りと色彩に豊かさと寂しさが見出される頃、 妖怪で賑わう寂れた神社の巫女は 信仰不足と営業停止命令に心悩ませていた。 散々悩んだ結果、神社の事を真剣に考えようという決心と、 神社の営業停止または山上の神への譲渡を命じた 妙な人間またはその神への胡散臭さから 霊夢は山に立ち入り、直にその神様に会うことにした。 また、魔理沙は事の経緯を霊夢から聞き、 妖怪の山の上に興味を抱いていた。 ・風の神 「1:風を支配する神。級長津彦命・級長戸辺命をいう 2:風邪をはやらせる疫神。《冬の季語》 3:江戸時代、風がはやる時、その疫神を追い払うと称して、 仮面をかぶり太鼓を打って門付けして歩いた乞食」 ・風神 「風をつかさどる神。日本では一般に、雷神と対をなして、 裸形で風袋をかつぎ天空を馳ける鬼体に表す。風布。風伯」 ・faith 「信頼、信用、信じること。自信、信念、確信。信仰、信条」 風は日常生活、農作業、海の仕事という具合に、人間に日々密接である。 古来から人々は風水害の無きことを祈願し、風の神を信仰してきた。 記紀や延喜式に登場する風の神が 級長津彦 (しなつひこ) 命、級長戸辺 (しなとべ)
命、 天御柱 (あめのみはしら) 神、国御柱 (くにのみはしら)
神である。 人々はこれらの神を祀る神社に対して、 強風の鎮静や作物の豊かな実りを祈念してきた。 また、これらのような風の神は、時には神風を伴う。 一方、風神と聞けば、一般的には日本神話の風の神よりも 風袋を携えて雲に乗る、鬼に似た異形の神を思い浮かべるであろう。 容姿の類似した雷神と対をなすことから、 風神の司る風は嵐や強風の意味合いを感じやすい。 大風や台風を引き起こす神とも想像できるが、 それらを司る神だからこそ、彼を祀ればその害を被らないと信じられる。 また、怪異の類としては、よくない風を吹かせる 悪霊、妖怪、または疫神としての風の神が、 風邪をはじめとする疫病をもたらすものと考えられた。 口から黄色い風を吹きつけ、人を病気とする悪神である。 病気以外にも、通り悪魔、通り物などの怪に直結する、 唐突に行き逢った人を狂わせる邪気も、よくない類の風である。 いずれも神名や姿形から別個の物と捉える事もできるし、 また、風と嵐、風と風邪が互いに通じる様に、 ないまぜな部分もあると言える。 東方ではどうかと言うと、 本作の風神様こと八坂神奈子は 自然の風 (風雨)
全般に関与することからの神徳である五穀豊穣の 要素が強く、級長津彦命などの風神に該当すると考えられる。 他方、東方花映塚で風神として先に登場していた射命丸文は 天狗のつむじ風や突風、スペルで見ても本作の二百十日や天狗颪など 短期間または瞬発的な風を操り巻き起こす要素が強く、 雷神の対となる風神にその要素が近いと言える。 すると、東方においてはおそらく、 文を指す風神と神奈子を指す風神とは 根源は風を操る点で一致があるものの、区別もすることができる といったような位置付けなのであろうと思われる。 〜 風の神とは、別に天狗みたいに風を吹かすだけでなく、 農業の神といった意味合いもあるんですよね。 農業と言えば雨。だから、雨。 〜 (「神は恵みの雨を降らす 〜
Sylphid Dream」 曲コメントより) 風神録は、原点回帰の意味合いも込めて、 「東方封魔録」
に類似のネーミングである。 〜 ちなみに、原点に戻るって事で風神録は 封魔録の名前を模して付けました (封魔録とはあまり関係ないけどね) 〜 (博麗幻想書譜・2007年5月4日記事より) Mountain of
Faith. 「信仰の山」 神が宿ったり降臨したりする場所として山を神聖視し、 崇拝し、祭祀の対象とする山岳信仰が、 日本だけでなく世界の多くの民族で古くからみられる。 山そのものを神体として信仰する神体山がその一例で、 奈良県の大神神社は本殿を持たず、 三輪山を神体山として神聖視する。 本作と密接な諏訪信仰においても、 諏訪大社に本殿は無く、上社は守屋山を神体とする。 (下社は神木を神体とする) 神の鎮まる場所、とくに神聖な森や山を神奈備 (かんなび)
と言う。 この語もまた、神奈子の名に関係が深いと考えられる。
参考 「広辞苑 第五版」 (風の神、風神) 「SPACE ALC」
(faith) 「【縮刷版】神道事典」 弘文堂 (風神、山岳信仰、諏訪信仰、神奈備) 「日本妖怪大事典」 村上健司、角川書店
(風の神) 「怪異・妖怪伝承データベース」 (通り悪魔) 「上海アリス幻樂団」> 博麗幻想書譜
(2007年5月4日) 「Wikipedia」 (風神) |
「風神雷神図」(俵屋宗達)より風神図 (「Wikipedia」より)
「絵本百物語」(竹原春泉)より風の神 (「Wikipedia」より)
赤岳山頂より望む守屋山 (「Wikimedia Commons」より)
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タイトル画面 [グラフィック] 鳥居の上には 「WONDERLAND」、 「DESACRALIZATION」
と書かれている。 「東方風神録」の文字の向こうに、 「東」 の上から 「録」 の右下にかけて黄色で 「KEEP OUT」 と書かれ、 「東」 の下から 「録」
の上にかけて白色から空色へのグラデーションで 注連縄
(しめなわ) が描かれる。 「KEEP OUT」 と注連縄でバツ印にもなっている。 また、「東」 に重ねて 「歩行者通行止め」 に似た標識が、 「録」 に重ねて 「車両通行止め」
の陰陽玉風アレンジ標識が描かれる。 ・desacralize 「〜からタブーを除く、〜を非神聖化する」 ・keep
out 「立ち入り禁止」 鳥居は神聖な地域と俗世界との境界で、 神域への侵入路に立つ、聖域の門である。 注連縄は神前、神域、祭場など神聖、清浄な場所を示すため 引き渡されたり張り巡らされたりする縄である。 その境界においての、「KEEP
OUT」 や通行止めの標識は すなわち神域への進入禁止を明確に示している。 そして、「WONDERLAND」 「DESACRALIZATION」。 ――さて、難解。 まず、神域とは、と考えると… 一つは博麗神社。 信仰心不足に悩む霊夢と営業停止命令。 妖怪で賑わう神社であり、幻想郷 (Wonderland)
において 神社の神聖が崩されている (Desacralization)
現状を嘆く。 信仰を得るためには、妖怪をシャットアウトし 人間を積極的に招き入れる必要がある。 (可能ならば妖怪に信仰させても良いが)。 しかし、霊夢はそんな行動に出ていないし、 グラフィックからも選択的フィルタリングの印象は受けない。 一つは守矢神社。 物理現実ばかりを見つめて神話を忘れ信仰を失くした外の世界と決別し 外の世界の人間達が立ち入れない幻想郷へと移行した神域。 幻想郷
(Wonderland) へ移る事で信仰心が一旦ゼロになり 神の力を一時的に失った
(Desacralization)
が、 妖怪の信仰を得た事で返り咲いた聖域。 進入禁止の解釈が強引だが、次と繋げることも可能か。 一つが妖怪の山。 本作タイトルに副って、神域としての山を指す見方。 妖怪の山の、神体山としての側面。 神の宿る神奈備の山。 神体山には、人がみだりに立ち入る事、またはいっさいの立ち入りを 禁じている、禁足地である場合がある。 妖怪の山は妖怪の住処であるため、ただでさえ侵入する人間に対し 警告が重ねられるが、さらに神域としての禁足性が加味される。 人間の立ち入りが許されない妖怪の山と そこに守矢神社が来た事による (一部) 神聖性を表している、 と解釈できるだろうか。 霊夢や魔理沙は、神域へ至る道中で、 厄を払われ、河
(ポロロッカ) と滝で禊をした格好になる。 風雨の神の恵みの雨 (スタッフロール) が止んだ後は、晴れて、幻想郷。 非日常世界の日常
(=ケ) が、風神録の途上で、または最後には完全に、 非日常世界の非日常 (=ハレ) へと移行する。 Desacralization
とは、ケまたはケガレを指すかもしれない。 ケガレは清浄と反対の概念で、神道においては忌まれる状態である。 神域への立ち入り禁止も頷けるが、ケガレは禊で浄化できる。 すなわち、タイトル画面の時点ではケガレ、Desacralization。 そのための立ち入り禁止であるが、 道中での禊を経てケガレが浄化され、守矢神社、御神体としての御山、 神域へと立ち入り可能となる。 そして、ハレの日。
参考 「SPACE ALC」 (desacralize, keep out) 「【縮刷版】神道事典」 弘文堂
(鳥居、注連縄、ハレ・ケ・ケガレ、穢)
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規制標識:歩行者通行止め、
規制標識:車両通行止 (「車を知る〜車の知識」>規制標識 より) |