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Level EX
 
 [ステージ]
 
 全8シーン。
 スペルカードは8種。
 
 被写体は以下の4名。
  紅魔館廊下にてフランドール・スカーレット。恐ろしい波動を撮影せよ。
  白玉楼階段にて八雲紫。気味の悪い微笑みを撮影せよ。
  永遠亭奥にて藤原妹紅。焼死しない人間を撮影せよ。
  無縁塚にて伊吹萃香。太古の時代を撮影せよ。



禁忌 「フォービドゥンフルーツ」
 
 [スペル]
 
 フランドールのスペル。
 フランならびに画面四隅の5箇所を弾源に火焔弾と光弾が交互に放射される。
 フランからは68WAY、四隅からはそれぞれ24WAYの弾幕である。
 撮影成功3枚で強化一段階。
 四隅からの放射が三連射となる。
 チャンス魔法陣の発生は無い。
 
 ・forbidden …「禁断の、禁制の、禁じられた」
 ・forbidden fruit …「禁断の果実」
 ・禁断の木の実 …「旧約聖書「創世記」に記されている、神から食べることを禁じられていた
              知恵の木の実。禁じられているが、非常に誘惑的な快楽」
 
 Forbidden Fruits.
 「禁断の果実」
 
 旧約聖書の「創世記」は、「天地創造と原初の人類」、「イスラエルの太祖たち」、
 「ヨセフ物語」に大別される内容から成る。
 第1章には神による天地創造が描かれ、第2〜3章にはアダムとイヴ、そして失楽園が描かれる。
 東方の楽園には、食に適した果実の生る木々が植えられ、
 中央には生命の樹(Tree of Life)および
 善悪の知識の樹(Tree of Knowledge of Good and Evil)が植えられていた。
 神により創造された最初の人間夫婦であるアダムとイヴは楽園に置かれ、
 楽園の管理を命じられた。
 また、善悪の知識の樹に生る木の実については、それを食することが禁じられた。
 しかし、蛇に唆されてイヴは善悪の知識の実を食べてしまう。
 イヴはアダムにもそれを勧め、結果、実の効果により善悪の知識(神に匹敵する知とも言われる)が
 備わり、二人とも自分達が裸であることに羞恥を覚え、イチジクの葉で腰を覆ったという。
 二人が禁忌を犯したことに驚き怒った神は二人を楽園から追放し、
 これにより二人は主なる神との親しい交わり、永遠の生命、自然との調和を失うこととなった。
 生命の樹の実までも食されることを神が恐れたための追放とも解釈される。
 
 "Of every tree of the garden thou mayest freely eat:
  But of the tree of the knowledge of good and evil, thou shalt not eat of it:
  for in the day that thou eatest thereof thou shalt surely die."
(2:16-17)
 楽園中央の2樹のうち、明確に禁忌とされたのは善悪の知識の樹であり、
 禁断の果実と言えばこれを指す。
 宗教画等ではリンゴとして描かれることが多いが、「創世記」中にその示唆は無い。
 リンゴではなく、ブドウ・イチジク・小麦・シトロン、あるいはザクロであったとする説があるが、
 地上に実在する種類の実であるかも不明である。
 
 ちなみに、生命の樹の実の方は食すると不死になれると言われる。
 東方の楽園の不死をもたらす樹……ん?
 
 赤青二成分の弾幕は、ギルティ・オワ・ノットギルティの赤青の様に善悪を表すのだろうか。
 あるいは、知恵の樹の実のついでに生命の樹の実も食べてしまったか。

 参考
 「SPACE ALC」(forbidden, forbidden fruit)
 「Yahoo!辞書」(禁断の木の実)
 「Wikipedia」(アダムとイヴ創世記エデンの園知恵の樹生命の樹
 「Wikipedia(英)」(Forbidden fruit, Tree of Knowledge of Good and Evil, Tree of Life
 「Gospel Hall dot Org」> eBible Search > Genesis Chapter 2



禁忌 「禁じられた遊び」
 
 [スペル]
 
 フランドールのスペル。
 自機照準4WAYで弾源を放射する。
 弾源は赤大玉を纏い、また、十字のレーザーブレードを備えている。
 自機とフランの直線上に放たれる弾のレーザーブレードは反時計周り、
 その垂線上に放たれる弾では時計回りである。
 加えて、4つの十字を4回放つ毎に1回、
 時計回り・反時計周り2つの十字を重ねたブレードを自機照準で撃ち出す。
 撮影枚数に応じた変化は無い。
 
 「禁じられた遊び」は1952年にフランスで公開され、
 アカデミー賞名誉賞やベネチア映画祭サン・マルコ金獅子賞などを受賞した映画である。
 原題は "Jeux interdits"、英題は "Forbidden Games" である。
 
 舞台は1940年、第二次世界大戦中のフランス。
 ドイツ軍の機銃掃射で両親と愛犬を同時に亡くした5歳の少女ポーレットは
 一軒の農家に身を寄せ、その家の11歳の少年ミシェルと仲良くなる。
 「死」や神への信仰、祈り方をまだ理解していないポーレットは
 ミシェルから教わって愛犬を埋葬し墓を作る。
 そして、愛犬がひとりぼっちでは可哀想と、様々な動物の死体を集め、次々と墓を作るようになる。
 二人の墓を作る遊びは次第にエスカレートし、ポーレットを喜ばせるために
 ミシェルは急逝したばかりの実の兄の墓を含む多くの十字架を教会の墓地から盗み出したり、
 教会の美しい十字架を盗もうとしたりする。
 やがて十字架泥棒の犯人がミシェルであることが明らかとなり、
 ミシェルの父は、ポーレットを孤児院に引き渡さないことを交換条件に
 十字架の隠し場所を聞き出す。
 しかし、父は結局ポーレットを戦災孤児として身請けに出し、
 怒ったミシェルはすべての十字架を川に流して捨ててしまう。
 
 十字架は、キリストの受難の象徴、死に対する勝利のしるし、または復活の象徴と捉えられる。
 死の理解、信仰・祈りの理解、象徴・記号の理解、
 いずれも未成熟な子供には難解である。
 それらを理解する者にとっては、十字架遊びは禁忌となろう。
 フランは無垢に十字架遊びを行っているのか、あるいは、理解した上で遊んでいるのか、
 定かではない。

 参考
 「Wikipedia」(禁じられた遊び十字架



境符 「色と空の境界」
 
 [スペル]
 
 紫のスペル。
 32WAY青レーザーブレードを時計回りに放つ。
 同時に生じた反時計周りの予告線に接触すると白レーザーブレードとなり反時計周り。
 次いで、青白レーザーブレード同時掃射により不可避弾幕を形成する。
 その後、4つの弾源が紫の周囲を巡りつつ多量の小弾を撒き散らす。
 最初のセットは小弾が弾源から8WAYで連射される均質な攻撃、
 次のセットでは弾速も異なる不均質な攻撃となる。
 撮影枚数に応じた変化は無い。
 
 ・しき)…(仏教用語)
   「五蘊の一。五感によって認識される、物質や肉体。存在物。もの。
    五境の一。目でとらえられるもの。色や形のあるもの。」
 ・くう)…(仏教用語)
   「全ての事物はみな因縁によってできた仮の姿で、永久不変の実体や自我などはないということ」
 
 五蘊ごうん)とは、存在を構成する五つの要素である。
  物質的、身体的なものとしての色蘊しきうん
  感覚作用としての受蘊(じゅうん
  表象作用としての想蘊(そううん
  意思・欲求などの心作用としての行蘊(ぎょううん
  対象を識別する作用としての識蘊(しきうん
 五境ごきょう)とは、眼・耳・鼻・舌・身の五官の対象である
 ・声・香・味・触の五つを言う。
 
 空と共に挙げられる色は、般若心経の「色即是空」が一般にもよく知られる。
 
 「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。
  色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受想行識亦復如是。
  舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
  是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法。」
 (仏説摩訶般若波羅蜜多心経より)
 「(…)色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなわちこれ空、空はこれすなわち色なり。
  受想行識もまたかくのごとし。
  この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減ぜず、
  この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、
  色も声も香も味も触も法もなし。」

 
 物質的現象には実体が無く、実体が無いからこそ物質的現象であり得る。
 実体が無いといっても物質的現象と乖離してはおらず、
 物質的現象は実体が無いことと乖離しつつ物質的現象であるのではない。
 およそ物質的現象というものは全て実体が無いことであり、
 およそ実体が無いということは物質的現象なのである。
 と、「色即是空、空即是色」がよく知られているが、「受想行識亦復如是」とあるように、
 結局のところは「五蘊皆空」である。
 五蘊が集合して構成されたものが人間である。
 肉体存在としての色、感覚としての受、表象としての想、意志としての行、認識としての識。
 自身は無から生まれてきたのではなく、かつ、自身で生まれようと思って生まれてきたのではない。
 父母という因、これまで育まれてきた周辺環境の縁、
 それらにより現在の自身の存在がある。
 存在に限らず、感受、知覚、意志、理解識別、いずれもまたかくの如し。
 全てが時間的・空間的な因縁の相互作用から成り、
 非物質的な因縁無くして存在たり得ず、また、存在無くして因縁も無し。
 この世に存するあらゆる物に不変は無く、不滅は無く、いずれ死を迎える常ならぬ存在である、
 諸行無常、万物流転の世界、固有でも固定でもない、空である。
 万物は絶えず変化し、人は次第に老いて死ぬ、しかしながら、五蘊は因縁から成り立つものであり、
 また、その五蘊が外界に影響することで新たに因縁をもたらしてゆく。
 脈々と血は巡り、ゲノムの螺旋は受け継がれ、縁の糸は切れては紡がれまた新たに絡まりあってゆく。
 色性是空、空性是色。色不異空、空不異色。色即是空、空即是色。
 
 上記の様な色と空の境界は、存在と因縁を弄れば操作出来るだろうか…縁(ゆかり)だけに……。
 存在の本質に関わる点で共通の「人間と妖怪の境界」もレーザーブレードの回転が
 共通要素と言えなくもないだろうか…。
 また、東方妖々夢事典のその項にも記したが、
 「境界きょうかい)」が
土地や物事のさかい目を意味する他に、
 仏教用語の「境界きょうがい)」は、人間の感覚器官と心の認識能力の対象、
 自分の力が及ぶ範囲、報いとして得られた境遇、その人の置かれた状況(境涯)などを意味する。
 後者は、安易に言い換えれば「世界」と出来る。
 紫のスペルの「○と×の境界」は、それらの「境界」のどちらにも解釈が可能に思える。
 
 仏教用語での「」は、前述の様に解釈される。
 大品般若経(摩訶般若波羅蜜経)には次の様にある。
 「解了諸法如幻如焰如水中月如虚空如響如ノ闥婆城如夢如影如鏡中像如化。」
 「諸法は幻の如く、焔の如く、水中の月の如く、虚空の如く、響きの如く、
  ノ闥婆城(蜃気楼)の如く、鏡中の像の如く、化の如しと解了せり。」

 色即是空の要点と同様に、諸法は空である。
 空は虚とも解釈される。
 東方求聞史紀に描かれる「幻想月面戦争騒動」では、実と虚の境界を操り
 虚像たる水面の月から実体の月へと攻め入ったが、ここでも「水中の月」は「虚」である。
 「色と空の境界」は「実と虚の境界」とイーコルとも解釈できよう。
 
 ここで、安直な羅列ながら関連事項(或いはこじつけ)を少し。
 を「いろ」と判じれば、八雲、八雲の色名関係の名前に関連し、
 その上、藍は紫のしき)、橙は藍のである。
 閾(しき、しきみ)は、現在で言えば敷居に当たる、門や戸口などの下に敷く横木であり、
 内外の境界である。
 物事の道理を知る事や見識があることを言う識(しき)は、
 紫が東方求聞史紀において「賢者」と称されることに合う。
 色の雲気(雲の動き。空中に立ち上がる異様の気)のことを紫気(しき)と言う。
 まぁ、こんなことを書きだせば
 四季映姫の四季や、幽々子の死を操る能力とこじつけての死期、
 不夜城レッドとこじつけての城(しき)などキリがないが。
 
 とは、決して「何もない」状態や「無」ではない。
 現実世界でも、宇宙空間など「真空」は無ではなく、
 量子レベルの極めて微視的な視点では、
 不確定性原理に由来する電子と陽電子の対生成と対消滅が常に起きている。
 さて、量子物理学などの領域においても「」がある。
 と言っても、視覚的な意味合いの色ではない。
 素粒子の一つであるクォークは「色荷(カラーチャージ)」と呼ばれる量子数を持つ。
 これは、異なる3種の色荷のクォークが集まって陽子などの粒子を構成し安定化することを、
 光の三原色が合わさって白色となることとシャレた命名である。
 陽子や中性子はいわば「白色」状態である。
 色荷はグルーオンと呼ばれるゲージ粒子を交換することでやり取りされ、
 強い相互作用の源となっている。
 強い相互作用は色荷間の距離が近いほど弱く、離れるほど強くなる性質であるため、
 クォークを単体で取り出す事は不可能となっており、陽子や中性子は「白色」に限られる。
 陽子や中性子は原子核を構成する、物質の核となる。
 一方、クォーク以外の素粒子には、電子やニュートリノなどのレプトン、
 光子などのゲージ粒子がある。
 色荷を持つクォークやグルーオンは物質を構成し、それ以外の素粒子は色荷を持たず、
 物質の構成には関わらないか、電子の様に関わっても自由度は高い。
 少々強引ながら、色と空の境界は、色(物質)と空(真空)の境界とも考えられるだろうか。

 参考
 「Yahoo!辞書」(色、空、五蘊、五境、境界、閾、識、紫気、雲気、城)
 「Wikipedia」(色 (仏教)空 (仏教)五蘊般若心経量子色力学素粒子
 「Wikisorce」(摩訶般若波羅蜜多心経
 「廣澤山 寶光寺」> 『般若心経』を読む > 五、色即是空の意味
 「つばめ堂通信」> 摩訶般若波羅蜜経



境符 「波と粒の境界」
 
 [スペル]
 
 紫のスペル。
 5WAYの紫米弾を間断なく放射する。
 時計回りに巡る砲塔の回転速度が変動することで形作られるパターン弾幕。
 砲塔の回転は一定時間加速が続き、超高速に達し、減速に転じる。
 弾幕模様がめまぐるしく変化し、回転方向やWAY数すら錯覚してしまう渦巻き。
 撮影枚数に応じた変化は無い。
 チャンス魔法陣の発生も無い。
 
 一般に、すべての粒子は、量子力学的な超微視的世界では粒子性と同時に波動性を持つ。
 いわゆる、粒子の二重性である。
 また、光などの波動の一種も、波動性と同時に粒子性を持つ。
 東方萃夢想事典、「半透明のお酒 〜Milk Sugar」の項で
 「ドブロイ波」に触れたので参考にされたい。
 
 マクロの世界では、粒子の運動はニュートンの運動方程式で表され、
 ある時刻での粒子の位置と運動量は正確に決定される。
 しかし、ミクロの世界では、粒子の位置と運動量の両方を同時に正確に決定する事はできない。
 位置が正確に決定されれば、同時に運動量は全く不明であり、
 運動量が正確に決定されれば、同時に位置は全く不明確である。
 粒子と波動の二重性は、その運動量が大きく波長が小さいものほど、粒子性の方が強く現れ、
 逆に、運動量が小さく波長が長いものほど干渉や回折などの波動性を示す。
 量子の世界は確率の世界であるとも言える。
 粒子はピタリと一点に静止してはおらず、だいたいの位置に確率的に分布している。
 そのだいたいの位置は、様々な運動量に対応する波動関数の重ね合わせに相当する。
 取り得る運動量が数少なく、重ね合わせがわずかな数であると幅が広くて不明確な波動関数となる。
 重ね合わせに使う関数が増えるにつれて、
 各成分の干渉は完全になるため波動関数の描くピークは鋭くなる。
 無限個の波長成分を使った時には、波動関数は鋭くて幅がゼロに近いピークとなる。
 この時、粒子は一点に局在し、位置が正確に決定されるが、
 同時に、運動量は無限個の波のどれか一つに相当するが、
 どれが相当するかを予測することはできない。
 いわゆる不確定性原理であり、
 すべての粒子は粒子性と波動性の両方を持っているが、
 その両方の性質を同時に測定することは不可能である。
 
 「」は弾が拡散して飛来し、可能だが困難な回避を強いられ、
 「」は弾が密集して飛来し、不可避ながらもゆらぎに乗って素早く撮影。
 「境界」はやはりここでも「境界きょうがい)」に解釈も可能である。
 二重性は全ての粒子に成り立つ。
 
 同じ方向への高速回転を見ていると、時に回転方向が逆回転になったかのような錯覚を覚える。
 疾走中の自動車のホイールや扇風機の羽、ヘリコプターのプロペラなどなど(特にそれらの映像)。
 連続階調値を離散値にサンプリングした場合に現れる、もとのデータには含まれない虚像を
 エイリアス(alias)と言う。
 ストロボ発光の中で腕をぐるぐる回している人がいるとしよう。
 パッと明るくなった瞬間、その人の腕は上を向いていた。
 次の瞬間には右、次は下、次は左……↑ → ↓ ← と発光4回あたり腕1回転。
 今度はその人が腕の回し方を変えた。
 発光の順に腕の向きを書くと、↑ ← ↓ → となっており、
 観測者は「腕を回す方向が逆になった」と思ったが、実際は「腕を回す速度が3倍になっていた」。
 この場合の、観測者が錯覚に陥った原理がエイリアスである。

 参考
 「詳説 物理U」三省堂
 「アトキンス物理化学 上」東京化学同人
 「Wikipedia」(二重性不確定性原理
 「Wikipedia(英)」(Aliasing
 「@nigty辞書」(エイリアス)



貴人 「サンジェルマンの忠告」
 
 [スペル]
 
 妹紅のスペル。
 妹紅から自機照準11WAYの火焔弾弧が2種の速度で計22本放射される。
 放たれる断片の右旋回あるいは左旋回はランダムで、
 妹紅はテレポーテーションを繰り返しつつ繰り出す。
 撮影成功2枚毎に多段階強化。
 WAY数が1ずつ増加。
 
 ・貴人あてびと)…「高貴な人。上品な人。貴族」
 ・貴人うまひと)…「身分の高い人。家柄のよい人。きじん」
 ・貴人きじん)…「身分・地位の高い人。きにん」
 
 サンジェルマンとは、18世紀のフランス宮廷に突如登場した謎の人物、
 サンジェルマン伯爵を指すと思われる。
 廷臣、冒険家、発明家、アマチュア科学者、画家、ピアニスト、バイオリニスト、アマチュア作曲家、
 そして錬金術師、と多彩な能力が伝えられる謎の紳士である。
 彼自身が不死性を仄めかしたと伝えられること、また、素性が全く不明であったこと、
 加えて「サンジェルマン」の名がそう珍しくもなかったこともあり、
 特に彼の死後は神秘学・神智学方面で持て囃されたのか、多数の作り話・伝説・空論が浮上した。
 サンジェルマン(St Germain)の名はラテン語の Sanctus Germanus (Holy Brother の意) から
 自身で選択したものであるとされる。
 "St" と言っても、聖者の意ではない。
 
 最初の目撃は1710年のベニス、次いで1743年のロンドンおよび1745年のエジンバラ。
 1746年に姿を消すが、1758年にベルサイユに現れルイ15世に気に入られる。
 1760年代前半は欧州各地に現れるが、再び10年程姿を消し、1770年代半ばのドイツに現れる。
 1784年、肺炎のため死去とされている。
 しかし、その死後も1835年パリ、1867年ミラノ、1800年頃のナポレオンのエジプト遠征、
 ナポレオン3世が保管したと伝えられるサンジェルマンの関係書類(1871年に焼失したとされる)、
 19世紀後半以降も神智論者による目撃・邂逅の主張がある。
 
 サンジェルマンの素性としては、トランシルバニアの皇太子の息子である、
 スペイン女王の私生児である、ポルトガル王の息子である、などの説がある。
 また、その他の伝説としては、
 不死人である、彷徨えるユダヤ人(東方花映塚事典;罪符「彷徨える大罪」参照)である、
 不老不死の霊薬を持つ錬金術師である、薔薇十字団員である、地位を追われた王である、
 と言ったものがある。
 「トランシルバニア皇太子の息子」「数百歳である」とは
 サンジェルマン自身が示唆したとも言われる。
 不死性以外にも多彩な能力が魔術・錬金術方面で解釈され、
 例えば、サンジェルマンの持つ魔術的な能力として(主にオカルト方面で)
 テレポート、浮遊、物質透過(壁抜け)、テレパシーなどを有していたとする考えもある。
 
 「忠告」という点では、
 サンジェルマン伯爵の「数百歳」発言を受けて、
 「彼はイエスにアドバイスしたんだよ」、などと冗談が為されたとされたり、
 フランス革命を予言して警告した、ナポレオンに助言した、などが語られる。
 
 妹紅は蓬莱の薬の効能により不老不死の身であり、
 本スペルではテレポートを繰り返す。
 また、妹紅は貴族の血を引くが、存在は歴史から隠された、望まれた子ではなかった様だが、
 非嫡出子とも考えられ、もしそうならばサンジェルマン伯爵の素性の説の一つにマッチする。

 参考
 「Yahoo!辞書」(貴人)
 「Wikipedia」(サンジェルマン伯爵
 「Wikipedia(英)」(Count of St Germain



蓬莱 「瑞江浦嶋子と五色の瑞亀」
 
 [スペル]
 
 妹紅のスペル。みずのえのうらのしまことごしきのずいき
 自機照準5方向に弾源が生じる。
 各方向の弾源は妹紅に近い順に弾丸・中光玉・弾丸を撃ち出す、5×3の15弾源。
 自機方向の弾源からは自機照準10WAY放射が為され、
 他の4方向の弾源からはその10WAYと全く同じベクトルで10WAY放射される。
 弾は赤青黄白黒の5色から成る。
 撮影成功毎に自機照準となる弾の色のみ変わる。
 
 ・五色ごしき)…「5種の色。特に、青・黄・赤・白・黒をいう。また、種々の色。五彩」
 ・ずい)…「めでたいこと。めでたいしるし。瑞兆」
 
 瑞江浦嶋子とは、一般によく知られる浦島太郎のお伽話の原型に現れる人物の名であり、
 「御伽草子」以降は浦島太郎として伝えられる。
 東方萃夢想事典;「開けて悔しき玉手箱」参照。
 
 丹後国風土記逸文(奈良時代に地方風土等を国ごとに編纂した物が風土記だが、
 ほとんどが現存しておらず、後世の書物に引用された、いわゆる逸文から一部が窺えるのみである)
 には「水江浦嶼子」が登場する。
 海釣りに出て三日三晩釣果が無かったが、五色の亀を釣り上げる。
 嶼子が亀を舟に置いて寝入った間に、亀は神女に姿を変える。
 その誘いに応じると、嶼子が目を閉じている間に海中の大嶋、蓬山に至る。
 日本書紀 巻十四 雄略紀、二十二年の段には「水江浦嶋子」が登場する。
 舟に乗り釣をした際に大亀を得た。亀はたちまち女になり、浦嶋子は妻に迎えた。
 二人は共に海に入り、蓬莱山に至る。
 万葉集 9巻1740番にも「水江浦嶋子」が登場する。
 海で釣舟を浮かべて釣をしつつ七日漕ぎ行くうちに海神の神の娘子に出会う。
 常世に至り、海神の神の宮で老いもせず死にもせずして過ごす。
 蓬莱については、東方妖々夢事典;咒詛「首吊り蓬莱人形」参照
 
 浦嶋子が「うらしまのこ」であるか「うらのしまこ」であるかは意見の別れるところだが、
 五色の亀が登場する「丹後国風土記逸文」には
 「筒川嶼子」「水江浦嶼子」「嶼子」と語られるため、ここでは「うらのしまこ」と読んだ。
 日本書紀や万葉集の方では「うらしまのこ」と解釈されることが多い。
 
 青赤黄白黒の五色は、五行思想の五色。
 木火土金水、万物を為す5種のエレメントを象徴する。
 
 余談ながら、丹後国風土記逸文中で、神仙之堺で三年過ごした嶼子は郷愁の念が強まり、
 その気持ちを次の引用で表した。「小人懷土、死狐首岳」

 参考
 「Yahoo!辞書」(五色、瑞)
 「Wikipedia」(浦島太郎風土記
 「Web 東京探検」>オンラインマガジン >浦島伝説の旅
 「UVa Library Etext Center:日本語テキストイニシアチブ」>>「万葉集 第九巻
 「国立国会図書館」>電子図書館の蔵書 >近代デジタルライブラリー(検索)>日本書紀(第2冊-59/109)
 「久遠の絆」>古事記 >日本書紀 >巻十四「高麗、百済破滅」
  同上   >古事記 >風土記 >風土記 逸文 >丹後



鬼気 「濛々迷霧」
 
 [スペル]
 
 萃香のスペル。もうもうめいむ
 自身の密度を疎へと変じ、撮影不可状態で自機を追跡する萃香。
 その間、多量の米弾が設置され続け、米弾は非常にゆっくりと移動する。
 一定時間戯れた後、萃香は実体化し米弾の設置を中断する。
 大玉12WAYを自機照準で5回放射した後、再び霧へと姿を変える。
 撮影枚数に応じた変化は無い。
 
 ・濛濛 …「霧・煙・砂埃・湯気などが一面に立ちこめるさま。心がぼんやりしているさま。病気」
 ・迷霧 …「方角の分からないほどの深い霧。迷いの境地を霧にたとえた語」
 ・鬼気 …「恐ろしくて不気味な気配・雰囲気。身の毛のよだつような恐ろしい気配」
 
 東方萃夢想の異変よろしく妖霧と化す萃香。
 単体としての萃香が著しく低密度まで霧散した群体。
 周囲に満ちる妖気。
 そして開始される鬼ごっこ。
 
 疎符「六里霧中」の様に、広範囲が濃い霧で覆われ
 視界も利かず、ただたださ迷うばかり。
 霧と言っても萃香自身であり、風にも影響されず
 一面を大きく広くゆったりと包み入れる。
 鬼気恢恢、疎にして濛々迷霧。
 
 小説家・内田百閨iうちだひゃっけん、1889-1971)の作品に「狸気濛濛」がある。
 (「凸凹道」(旺文社文庫、1981年)、「百鬼園先生言行録」(ちくま文庫、2003年)等に収録。)
 内田百閧フ別号が百鬼園(ひゃっきえん)である。
 関連は不明。

 参考
 「Yahoo!辞書」(濛濛、迷霧、鬼気)
 「Wikipedia」(内田百間



「百万鬼夜行」
 
 [スペル]
 
 萃香のスペル。ひゃくまんきやこう、あるいは、ひゃくまんきやぎょう
 萃香から固定方向32WAY青米弾、自機照準32WAY青中玉が放射される。
 また、砲塔を時計回りに巡らせつつ、複数個組みの中光玉が3WAYで撃ち出される。
 撮影成功2枚毎に多段階強化。
 萃香が移動する→固定方向32WAY赤米弾が加わる
 →やや速い複数個組みの中光玉3WAY砲塔時計回りが加わる
 →自機照準32WAY中光玉連射が加わる
 
 東方萃夢想事典;「百万鬼夜行」参照。
 東方萃夢想では、疎符「六里霧中」の次のスペルであり、
 大半のストーリーモードで大トリを務めたスペルである。



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Acknowledgements & References

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